2050年にCO2排出ゼロ?

菅首相の目玉政策?

 菅首相が不思議な政治力学で首相に選出されて動き始めました。これまで安倍さんの影に隠れて何をやりたいのか解らない人だったけど、携帯料金値下げとかとりあえず多くの国民に支持されることから始めたようですね。
 しかし携帯だけでは長期的な政治課題にはならないでしょう。そこで長期的課題として、何と2050年までにCO2排出ゼロを打ち出してきたようです。
 CO2はこれまでも安易に政策として掲げられてきました。このブログで何回も指摘してきましたが、CO2削減を言いながら日本ではCO2削減は全くといって良いほど実行されていません。ここ30年間CO2が実質的に削減されていない、先進諸国で唯一の国が日本なのです。菅首相それを知っているのかな? また日本のマスコミでそれを知っているマスコミはあるのかな? 非常に危険です。
クールビズが示す日本の失われた30年を見る
現在の日本のCO2排出量は一年間で12億トンという数字も初めてマスコミニュースで見る数字です。日本の人口は一億二千六百万ですから、年間排出量は一人当たり10トン弱になります。1990年からの過去30年間、日本ではその状態が続いています。一方スウェーデンに代表されるヨーロッパ諸国では、一人当たりのCO2排出量は大幅に減少しています。
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急にCO2排出ゼロを言い出しても、その具体策のイメージはあるのでしょうか?政府にも、官僚にもそしてマスメディアの誰一人として、理解して発言をしている人は見当たりません。そして悲しいことにエネルギー関係者にも。

自然エネルギーが造る社会は現代社会とは基本的な構造が異なっている

CO2排出ゼロは、根本的に自然エネルギー100%を意味します。現在は化石燃料がほとんどである社会です。そして人々は化石燃料社会での常識に凝り固まっています。例えば成長戦略などがそうです。化石燃料は急激な成長を可能にしました。しかし自然エネルギーでは、そうはいきません。環境の規制緩和によってCO2排出ゼロと成長戦略の両立を図ると環境相が言うなど、何を戯言を並べているかいい加減にして貰いたいものです。

自然エネルギーでは現代社会を支えることは出来ない

原発が何故期待を持たれたか、それをきちんと理解する必要があります。何故原発が期待されたか? それは有限な資源である化石燃料を補完し、20世紀後半の時代の流れをそのまま受け継ぐエネルギー源として期待されたのです。20世紀後半の時代の流れとは、都市集中を促すことで経済発展の効率を上げ、また自由に世界中を動き回ることで世界を画一化する流れです。そのような流れの中で「成長神話」が生まれ、その成長神話を支えるために原発「安全神話」が造られていきました。原発安全神話が崩れた以上、20世紀型の成長神話を疑わなければいけません。それを固執するから、格差も拡大し、また環境破壊も酷くなるのです。原発は最大の環境破壊でした。

新しい時代の常識を構築しよう

コギト・エルゴ・スム.我思う故に我有り。デカルトの言葉として有名です。デカルトは中世から近代への過渡期17世紀前半に生きた人です。「方法叙説」を読めばすぐ解りますが、デカルトは自分の経験を元にしながら中世の常識をすべて疑う中で、疑う(考える)行為を行う「私」という存在は疑うことは出来ないということに気がつき「我思う、故に我有り」と考えるに至りました。
コギトという言葉はラテン語です。思う、考える、さらには疑うという意味を持つ一人称形の動詞です。動詞の一人称形ですから、わざわざ「我」あるいは「私」という単語は必要ないのです。フランス語を母国語としながら、当時の国際語であるラテン語を熟知したデカルトの、簡潔なキャッチコピーがコギト・エルゴ・スムなのです。デカルト自身はフランス語にこの書物を訳しませんでした。同時代人がフランス語訳を出版したとき、この訳は良く私の考えを伝えていると保証の言葉を添えただけでした。フランス語のキャッチコピーは、デカルトには出来ると思えなかったのです。キャッチコピーと時代を切り拓く思想の創出、それをやってのけたのが近代哲学の祖デカルトでした。
日本語に訳されたとき、本来なら「我疑う、故に我有り」と訳すのが、文脈から見て正しい訳語であったと思われます。しかしこれってキャッチコピーになるでしょうか? 「我思う 故に我有り」これは自然な日本語のリズムに合っています。五七調です。現代にこそ、五七調を避けた言葉は当たり前になりましたが、明治期にはキャッチコピーは五七調でなくてはなりませんでした。そこで「我思う」というフレーズを訳者は選んだのでしょう。しかしそれが単に「考える」という意味で流布することによって、本来の意味は極限にまで薄められました。幸いこのキャッチコピーが現れる「方法叙説」は、とても明快で読みやすい哲学書です。万人に意味が分る明快な書物であり、その意味は読む度に深さが見えてくる哲学書になっています。さすがは近代哲学の祖と言われているデカルトの名著です。是非多くの人に読んでいただきたい書物です。
デカルトが思想的に切り拓いた近代は、産業革命によって強化されました。そして産業革命は現代化石燃料社会を生み出しました。現代社会は化石燃料と密接に結びつけられており、自然エネルギーでは支えることができません。
自然エネルギーは太陽エネルギーが変化したものです。太陽の光が地球を照らす限り、尽きることがないエネルギーです。そして一年に地球に届くエネルギー量は、一年で人類が消費する化石燃料より、一万倍以上も大きいのです。太陽エネルギーが不足しているなどと言ったら罰が当たります。
しかし太陽エネルギーは地球全体に降り注ぎます。緯度が高ければ降り注ぐ太陽エネルギーも少ないのですが、そこは良くしたもの、風が常に強く吹いていたりします。北欧諸国が、大幅なCO2排出削減に成功しているのも、自然エネルギー起源のエネルギー消費の割合が大きいのも、自然の恵みのおかげでもあります。自然エネルギー利用は、化石燃料利用とは全く異なって、その地のエネルギー事情を良く知った上で行わなければ成功しません。
日本は自然に恵まれた国です。山が多くまた海に囲まれています。その実態を無視して闇雲に自然エネルギー導入を進めると、原発事故のようなきついしっぺ返しを食らうでしょう。
自然エネルギー利用と言えば、発電と短絡的に考える習慣も止めなければ。先進国で唯一CO2削減に成功していないのが日本なら、先進国で最も電気の割合が大きい国の一つが日本でもあります。日本の常識は先進国の非常識です。環境大臣始め、これから日本を背負って立とうと考える人は、しっかりと認識してほしいものです。
自然だけではなく日本は伝統にも恵まれています。太陽エネルギーの流れの中で生きるという発想は、西欧近代の発想よりも、日本人の多くに受け入れやすいと考えられます。日本の伝統文化に親しみ、日本の豊かな自然に親しむ。これがCO2排出をゼロにする近道であると考えます。それは化石燃料社会から自然エネルギー社会への移行を当然ながら意味するのですが、30年で出来るとは思えません。まずは皆さんエネルギーについての理解を深めませんか?

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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