人も自然の一部である

自然には 人こそ含め 
コロナ禍の 闇の向かふの 一筋の道

自然を征服する vs 人も自然の一部

明治以来日本人は、長く自然と戦い征服すると考えてきました。自然を征服するために堤防を作る。堤防は想定される豪雨にも耐えなければならない。そうすれば洪水から身を守ることが出来る。あるいは津波から身を守ることが出来る。
ところが想定するのはあくまで人間でした。自然はそれを越えて大きな津波を起こすことが出来ました。それは東日本大震災で経験したことです。
昔の日本人は自然と戦い征服するとは思っていませんでした。例えば四国の沈下橋は、川が水量を大きく増すときには、水面下に潜ってしまって不必要な抵抗を避ける工夫がありました。荒ぶる自然に抵抗しないで、その時は収まるのを待つ。そういう知恵がありました。
荒ぶる自然からは難を避け、さらには利用する工夫もしばしば取られました。同じ堤でも甲斐の信玄堤は川を氾濫しないようするのではなく、氾濫する部分をあらかじめ作っておき、そこに上流からの豊かな沃土を導き、もって農業に貢献し、また景観にも資する役割を持っていました。自然に対抗するのではなく、自然に従いまた敬い、自然の恵みを最大限頂くという工夫があったのです。自然と共に生きるーそれが日本人の知恵でした。

コロナ禍とCO2排出ゼロ

令和二年はコロナで始まり、コロナで終わろうとしています。せっかくの新しい時代ー令和の最初の年明けはコロナ渦で始まりました。令和という時代が、コロナに象徴される何かを強く持った時代であることが予感されます。
令和二年は、もう一つ新時代を告げる役割を果たしたものがあります。それは新しい首相が30年以内にCO2排出をゼロにすると宣言したことです。これは未だに正しく理解している人がほとんどいないのが不思議なことですが、令和という時代を実に正しく特徴付ける宣言だと考えられます。恐らく菅さんもそれに気付いていないと思いますが。
おそらくはこれを読む貴方も、エネルギー学的に正しく理解してないかと、老婆心ながら思いますので、そこを少し詳しくご説明したいと思います。
かく言う私南駄老はエネルギー学者です。日本エネルギー学会にエネルギー学部会という部会があり、私(小池康郎)がメンバーであること、エネルギー学で検索すれば解ります。

CO2排出削減に含まれる嘘

CO2排出を削減することは、これまでスローガンとして常に取り上げられてきました。ところがCO2排出削減とは、非常に巧妙な詐欺的スローガンであり、事実日本では過去30年間、全くといって良いほどCO2削減が行われませんでした。
失われた30年の記事を見る
CO2何%削減という標語は、実際にはチェックされることなく、30年間只のお題目として唱えられていたのです。馬の耳に念仏とはこのことで、考える力を失い馬同様に成り下がった現代日本人にとっては、ポピュリスト政治家が少し賢そうに見せるために借りてきた念仏で、例えばクールビズという意味なき標語で騙されていたのです。クールビスは全くCO2削減に役立たずだったことは、上の記事を読んで貰えば解ります。今回コロナ渦で政治家達の、やってる感を指摘する人が増えましたが、今世紀に入って以来、一貫して国民はやってる感にごまかされ、マスコミもそれをチェックしなかったというお粗末です。

CO2排出ゼロは、化石燃料消費ゼロを意味する

さてCO2排出ゼロです。これは言い換えると化石燃料消費ゼロを意味します。CO2排出ゼロを言い始めた菅政権は、その正しい意味の理解無しに言い始めたことは、政府から発信されるメッセージから読み取れます。
CO2排出ゼロを言い始めたころは、電源構成だけを意識していました。エネルギー=電気という間違った風説をそのままにしてCO2排出ゼロを言い始めたことは明らかです。しかしエネルギーの統計を見ると、一番多く使われているのは電気ではなく石油なのです。そして石油を一番多く消費するのは自動車です。そこで自動車を石油ではなく電気で走らせるために2030年までにガソリン車の販売台数をゼロにすると言い始めたのです。電源構成から化石燃料を除外しても、一番多く化石燃料を消費する自動車をそのままにして、CO2排出をゼロにすることは出来ないことくらい、小学生にでも解りますからね。CO2排出ゼロは、明らかな化石燃料消費をなくすことが第一歩です。

化石燃料大量消費と世界的危機

化石燃料消費をゼロにするというと、一昔前、いや一年前でさえ、誰も冷笑して見向きもしませんでした。だってそんなこと無理だろうって、私以外のエネルギー学者は考えていたのです。何故なら現代日本が、化石燃料大量消費で成り立っているのを、皆が知っているからです。だからこそCO2削減という標語で、皆ごまかしごまかされていたのです。
菅政権が今化石燃料消費ゼロを言い出した現在でも、現代のエネルギー関連の人達は、それは無理だと思っているでしょう。大量の化石燃料消費とそれに支えられた現代社会を良く理解しているからです。しかしそれなら何故そう言わないのでしょう。
それはコロナ禍にあるからだと考えられます。一年前は想像もしなかった大規模な危機が、世界中を襲っています。
私は3.11以来社会的エネルギーについて考え続けてきましたが、どう考えたって起こる世界的悲劇が段々見え始めました。それは燃料不足による、全世界で起こる社会的活動の制限です。化石燃料は有限な資源ですから、そのうちその有限性が皆に見えてきます。その時ガソリン代が今の数倍とか十数倍とかになります。一般家庭のエネルギー料金(電気、ガス、ガソリン、灯油などの合計)が、食料代と同じ規模の料金になったことを想像してみて下さい。貴方の家庭が現在ひと月10万円程度を食料代として消費しているとして、エネルギー代にも月に10万円程度かかるとすれば?
その時には気候変動で、夏はめちゃくちゃ暑く、また豪雨は年々激しくなります。人が生活するために、エネルギーはますます多量に必要とされます。この状況は世界的な現象ですから、他国の援助は期待できません。
このような心配はエネルギー関係者なら、うっすらと持っていたでしょう。しかし突き詰めて考える人はほとんどいませんでした。多くのエネルギー関連の人達との会話で知ったことです。単純に突き詰めて考える暇もなかったでしょうし、そのうち新しい資源エネルギーが見つかるかも知れない、いや省エネでそのような事態はどんどん遠ざかるのではないか・・。様々な幻想を持って。世界的危機など核戦争を回避していれば、人類の英知で避けることが出来るに違いない、と思っていた人もあるでしょう。様々な幻想で事実を見ようとしない現代日本人の性格は、CO2削減という失敗した幻想で示されています。
コロナ禍は、世界的危機が実際に起こりうることを示しました。このままで行けば、令和の時代は、21世紀は、世界同時に広がる危機の時代ともなり得ることを示したのが、コロナ禍だったのです。

コロナという自然につきあって災害を避ける法

今回のコロナ渦はいつ収束するかわかりません。また新型ウィルスパンデミックは、今回のコロナが収まっても、いつまた襲ってくるかは解りません。新型ウィルスパンデミックは、現代の社会生活が引き起こしたことは明らかです。世界中の人が大量に移動する事を可能にした石油文明が、飛行機などという手段を使って引き起こしたのです。遅かれ早かれ、再び襲ってくることは明らかでしょう。
これに対して大きさを想定して防波堤を築くことは不可能です。大きさを想定することは、過去の被害を知って初めて行われます。しかし過去の被害の経験がないのです。
そうすれば危機と付き合いながら、危機が広がりにくい社会を創出するしかありません。現代社会で危機が広がりやすいことを示したのは、明らかに大都会でした。大都会集中を抑え、地方に分散した地方分散型社会創設が、これから起こりうる新型コロナウィルスパンデミックを押さえる一番の方法となるでしょう。現代日本は、東京一極集中に悩んでいますが、今回のコロナ禍を正しく評価すれば、東京一極集中どころか、大阪などの大都会集中を続けるのは、とんでもないことと考えなくてはいけません。

地域分散型社会はコロナにも強靱で自然エネルギーにも支えられやすい

今回のコロナ騒動では、地方都市は感染は比較的少なかったことは明らかです。10月の半ばまで、徐々に感染者は減少していました。第三波を引き起こしたのは、明らかに東京発着のgo to トラベルが始まってからです。東京は常に感染の発生源でした。
「構造的に東京が感染の中心である」の記事を見る
パンデミックに備えるためにも、中小規模の都市を活性化し、人口を分散し、そして平時には多重構造の都市間ネットワークを確保し、一端ことが起これば素早く交通ネットワークを遮断し、感染が酷い都市では人の流れを弱めるが、日常生活は気晴らしの密でない散歩を含めて確保する、そのような都市を多く造り出すことが必要でしょう。
事実私は今回のコロナ禍でもほぼ一貫して、京都北部で自転車または徒歩による毎日一時間程度の散歩を欠かさず続けています。
一方自然エネルギーの観点からも、地方分散型社会が不可欠です。何故なら自然エネルギーは太陽からのエネルギーの様々な流れです。太陽エネルギーは莫大ですが、集中させるのが難しく、過密な都市に充分なエネルギーを供給するには無理があるからです。
自然エネルギー社会は、地方分散型社会となります。良く知られたように化石燃料を使った産業革命は、都市に人口を集中させました。自然エネルギーは、その流れを是正し、巨大都市から人々を分散させ、地方分散型社会を創出するでしょう。令和の時代そして21世紀は、パンデミックを避け、また自然エネルギーで快適に生きていくために、地方分散型の日本を、そして世界を作り上げる時代、これまでになく希望に満ちた、新しい社会への幕開けの時代となるでしょう。

自然と人との関係

人は自然と戦う存在か、それとも自然の一部なのか、という話でこの記事を始めました。日本の伝統的な考えは、人も自然の一部であると指摘しました。エネルギーの観点からは、明らかに人も自然の一部です。このブログでいつも指摘しているように、人は太陽からのエネルギーを蓄えた食物を食べて己がエネルギーとして生きていますが、自然は様々な形で、太陽エネルギーを利用し、森羅万象を作りだしています。自然エネルギーに支えられる社会創設は、自然の中の一員として、太陽エネルギーを有難く利用しながら、快適で持続的な社会を創設することを意味します。人は自然と対立し戦う存在という発想より、自然の中の一員である存在と考える発想が、自然エネルギーに支えられる社会創設には、よほど役に立つ発想であることは明らかではないでしょうか? 化石燃料に毒された考えに限界を感じたとき、人は自然の一員なのだ、有難くその仲間達を利用させて貰おうと発想することによって、解決法が見えてくるのではないでしょうか?
令和という時代は、日本の伝統的な考え方ー人も自然の一部であるーという考え方を元に、地域自然エネルギー産業革命を起こす輝かしい時代になることも可能な時代です

興味ある記事を見つけました

ドラトーザンさんという人の興味ある記事を見つけました。

「フランス人が日本に戻って心底感じた『自由』」を見る

トーザンさんが私を覚えているかは知りませんが、私はトーザンさんに二三度お会いしたことがあります。お会いしたのが10年以上前でしたが、そのころすでに日本滞在が長く、お会いしたのが「神楽坂落語研究会」の親睦会で、神楽坂の居酒屋だったかな、そういう場で多くの人でワイワイやっている場所でした。コロナ禍の中では絶対にやってはいけない日常の場ですが。
この記事本当に面白いので是非一度読んでみて下さい。同じ現象を見てもこんなに違うのかという感想が素直にわくでしょう。確かに同じ現象です。日本人の自粛ーそれに対する評価の違い。
そして興味あるのは「(日本人にとって)人間は自然の一部であり、欧米人のように自然は戦う相手ではないのです」という指摘。コロナ禍の中でこのフレーズが、すっと出てくることがトーザンさんの日本滞在の長さと、日本文化理解の的確さを表していると思います。そしてその後、記事の最後におかれた自由についての段落。これは記事の出だしと呼応してこの記事の印象を深く引き締めていますが、コロナが如何にフランス人のトーザンさんにとっても深刻な事態だったかを教えてくれます。フランスの単に日本と比較にならない感染者数と死亡者の多さに留まらず。自由を何より重んじるフランスを母国とし、そしてそれを誇りにも思っているトーザンさんにとって、フランスでは自由がなくなり、その自由をコロナ禍の中で日本が保っていることへの驚愕。この記事はフランス文化を持って育った一国際人が、コロナ渦で受けた真に文化的な危機感を表現しているものでしょう。

コロナ渦が歴史的に如何に重要な出来事であったか。如実に示す記事であると思います。ポストコロナへ向けて、歴史と文化の見直しを、世界中の文化を生かしながら、有効に活用し共存させながら、日本文化も一役買う時代に入ったのではないでしょうか? 自然と共存する人という考えを持つ文化、自然の一員であるという認識を持つ私たちの文化は、世界の一員であるという認識を、その根底から持ちうる文化であるのです。

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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