新自然エネルギー元年

令和3年明けましておめでとうございます。
令和2年は、一年を通じてコロナに悩まされた年でした。令和3年もコロナで明けました。しばらくコロナに悩まされるでしょう。

令和3年は新しい時代の幕開けを告げる

新年にあたっての希望

しかし私は令和2年を新しい時代の予兆に震えた年であると思っています。令和2年のコロナと突然のように出た政策30年でCO2排出ゼロを結びつけて考えれば、そのことが解ります。
私たち人類は、新しい時代ー新自然エネルギー時代へ向けて、化石燃料時代の遺物を壊していかなければならないのです。本来思考力を持ったはずの人類が、長い歴史の中では短期に終わる宿命を持った化石燃料時代を、自らが乗り越えて古い物として脱皮を計らなければならなかったはずです。
しかし人類は昔から傲慢病という慢性的疾患を持っています。それが賢いはずの人類の目をくらまします。そのような時、自然は予想外の力で猛威を振るい、人類の思慮のなさを笑い、自然こそが主人なのだと思い知らせてきました。新型コロナウィルスパンデミックは、その自然の猛威に他なりません。自然を征服するなどおこがましいことは考えず、自然が荒れ狂っているときには、なりを潜めひっそりとガマンする、そういう習性を日本人は持っています。それを思い出しましょう。そして化石燃料に頼る愚かしさを、日本人自身深く反省し、自然エネルギーを使った社会を長い間追究してきた歴史を見直し、世界に示し、新しい自然エネルギー社会を世界を先導して、また協力して切り拓きましょう。コロナ禍の中で多くの人がそれに思いを馳せ、ポストコロナを切り拓いていくことが出来たら、荒ぶるコロナを避け、自然を敬い共存する、伝統の日本文化の中で、私たちは新時代に足を踏み入れることになるでしょう。

パンデミックは化石燃料を使った交通の発達が生み出した。

新型コロナウィルスパンデミックという、グローバリズムが生み出した奇形現象が全世界を襲いました。全世界を飛び回る飛行機が、新型ウィルスをあっという間に世界に広めました。以前なかったことですが、これからも起こりうることは明らかです。何故ならウィルスが変種を生むことは昨年末に経験したことですし、変種を重ねて動物寄生の新型ウィルスが、人類をかなり頻繁に襲いうることは想像に難くないことです。新型ウィルスは過去にも頻繁に出現していたでしょう。しかし昔のウィルスは、飛行機という移動手段を持っていなかったので、世界に広まることなくその多くが死滅していったでしょう。
コロナ禍のなか安倍首相が辞め、菅政権が誕生しました。菅政権は長期的課題として、2050年までにCO2排出ゼロを打ち出しました。コロナの中でのこの政策は、コロナ対策と全く別の課題であると考えられています。しかしそれは違います。コロナ禍とCO2は密接な関係があります。他ならぬCO2排出元凶の化石燃料消費が、コロナ禍を生んだのです。それを見てみましょう

2018年における世界の最終エネルギー消費のサンキー図  IEAーHPより

上の図は2018年における全世界のエネルギー消費(最終エネルギー消費)を表した図です。サンキー図といって、線の太さでエネルギー消費量の大きさを視覚的に解りやすく表しています。左にエネルギー種別、右にエネルギー消費の場所を表します。IEA(International Energy Agency)のHPで見つけることが出来ます。
エネルギーサンキー図の詳しい説明はこちら。
IEAのHPでの、該当する図を見たいかたはこちら。
左のエネルギー種別を見てみましょう。明らかに最も太い線(最も多く消費されているエネルギー)は、上から二番目にありますが、これはOil productsです。石油製品と訳されますが、ガソリンや軽油またプラスティックもこれに入ります。石油製品全体で見ると明らかに電気ーElectricity(1919Mtoe)の二倍以上の(4039Mtoe)の消費です。天然ガスや自然エネルギーなど、すべて含んでの全エネルギー消費は左上にありますが、9937Mtoeです。
IEAのサンキー図は1973年(オイルショックの年)まで遡ることが出来ます。1973年の同じ図を見てみましょう。

1973年における世界の最終エネルギー消費サンキー図   IEA-HPによる

2018年と1973年を比較してみましょう。2018年1973年。
どうです。エネルギー消費自体、ほぼ倍増しているでしょう。世界がそれだけエネルギーを必要としているのです。この間45年。1973年にはオイルショックで石油に頼る事の危険性が示されたのですが、それでも石油の消費自体が、この45年に倍増していることが解ります。
先ほど見たように、コロナも化石燃料大量消費と無関係ではありません。何しろこの間に便利になった交通機関が引き起こしたのですから。2018年のサンキー図に、石油製品で最大の消費場所はRoadつまり道路であることがわかりますが、その数量も書き記してあります。1999Mtoeです。1973年の図には数量が見えませんが、IEAの原図をしらべると695Mtoeであることがわかります。全体のエネルギー消費増が2倍程度に対し、3倍近くの増加をしているわけです。如何に交通量が増えたかを示します。
コロナ禍の主犯は国際交通量になりますが、International aviation bunkers(国際航空)のエネルギー消費を見ると、1973年の63Mtoeに対し2018年は135Mtoe、国際航路(船舶)では121Mtoeから220Mtoeに増加しています。
これらの交通手段は、自動車にしろ飛行機にしろ船舶にしろ、すべて石油に拠っています。つまりCO2排出の元凶になります。また1973年~2018年の間に、石油製品に次いで多いエネルギー種別は、約半分程度以下であるとは言え、電気になっています。そしてその電気のほとんどは火力発電で生成され、言い換えればCO2を排出しながら発電されているのです。現代は化石燃料の時代なのです。

エネルギー源によって変わる社会

化石燃料大量消費は二百有余年前の産業革命で始まった

化石燃料大量消費時代はいつから始まったのでしょう。もちろん産業革命期にですね。最初は石炭が使われました。次に石油及び火力発電による電気が使われるようになりました。
エネルギー源が変わると社会が大きく変わることをここから読み取ることが出来ます。石炭では工業が発達しました。また交通が変化しました。汽車そして汽船。でも自動車や飛行機は出来ませんでした。固体燃料である石炭の熱供給量は、充分集中したものではなかったのです。
石油が自動車と飛行機を可能としました。そこで自動車氾濫社会そしてグローバル時代が到来し現代に至っています。これには石油が不可欠なのです。従っていつまでも続くと考えては、長期的戦略として失格となります。今中年で働き盛りの人が年金生活に入るまでの間は、大丈夫かも知れませんがね。
でも年金生活に入ったとたん、自動車がなければ生活できない、ところが年を取って危険だと言って免許が取り上げられ、それ以上にガソリンが高くなって、よほどお金が余っている人出ないと燃料費が払えないなんてこともあり得ますよ。それより若い人は、石油時代の終焉をしっかりと考えなくては。ちょうど2050年までにCO2排出ゼロなどと言い出しました。当然石油消費はゼロにならなくては。
石油が輸送手段を大きく変えたのに対して、電気は産業と居住環境を大きく変えました。高層ビルは大量の電気がなければ出来ません。そして大量の電気は、大型火力発電または原発を使わなければ得られません。東京や大阪に高層ビルが林立していますが、これがいつまでも続くと考えては、日本がダメになります。日本に林立する高層ビルを、自然エネルギーが支えることは出来ません。これも2050年までに終焉すると見ておいたほうが良いでしょう。

化石燃料を使った産業革命は西欧近代思想の成果であり限界でもある

産業革命は化石燃料を使うことによって、社会を大きく変えてきました。現代先進社会はその恩恵を受けています。
しかし化石燃料は二つの致命的な欠陥があります。一つはその有限性です。化石燃料は有限な資源です。特に地表近くに存在する、安価に容易に取り出しうる量は、ごく限られたものになります。したがって化石燃料は徐々に高価なものに変わっていきます。需要が供給を上回るなら、高価になるのは当然です。また取り出しにくい化石燃料は当然高価になります。
西欧近代思想はふんだんにある(と人類が錯覚した)化石燃料を無計画に、それこそ湯水のごとく使って、産業革命以降の時代を先導しました。西欧近代主義は、有限な、そして使えばなくなってしまう資源である化石燃料を、湯水のごとく使って良いと考えたが故に、その限界を露呈してしまいました。有限なものを大切に使うという発想を持てなかった故の限界なのです。将来西欧近代主義は、深刻に反省され、人類は異なった指導原理を求めるでしょう。いやそういう時代にすでに入っているのです。
化石燃料の二番目の欠点は、環境に悪いことです。都市のヒートアイランド現象、台風の巨大化など、環境悪化は日本でも人ごとではありません。CO2排出増大が環境悪化の指標と考えられていますが、ヒートアイランドも台風の巨大化も、単にCO2排出増大だけで考えたら、説明出来ない現象であり、また現代日本人の身近な問題でもあります。そしてこれらすべては、化石燃料大量消費の結果なのです。
そして今回のコロナ禍。化石燃料をがんがん使った飛行機を、無計画にがんがん飛ばすことで世界的パンデミックになりました。化石燃料が導いた決定的な環境悪化です。考えて見れば、道路を我が物顔で走りまくる大量の自動車ーこれが環境悪化でなくて何でしょうか?

悠久な自然エネルギーは悠久な社会を作りうる

化石燃料時代は早晩終わる運命にあります。その後人類が消費できるエネルギーは、自然エネルギーだけです。自然エネルギーは、太陽起源のエネルギーであり、悠久なエネルギー源でもあります。わずか数百年で終焉を向かえるような、ちゃちなエネルギー源ではないのです。
しかし自然エネルギーは近代主義とは恐らく相性が悪いエネルギーです。化石燃料と違って大量に集中できません。高層ビルを支えるには不向きなエネルギーです。また大量の自動車をがんがん走らせるのにも不向きなエネルギーです。
だから自然エネルギーは不十分なのだ、そう現代の浅はかな成功者達は言って憚りません。ちょうど西洋の中世、神に背く者を魔女だと言って排斥し、火刑にまでして憚らなかった人達のように。
高層ビルや大量の自動車を支えることが出来なくても、ちっとも未来人は困らないでしょう。エネルギー源が社会を変えてきたことは、上に見たとおりです。化石燃料は西欧近代主義が最大限利用したエネルギーです。そういう意味では、西欧近代主義は致命的欠点を持っていました。有限なものを湯水のごとく使えると錯覚して。自然エネルギー社会の指導原理は、恐らく別の原理が重視されるでしょう。
さらば近代よ。

百有余年前の自然エネルギー産業革命

今から140年前、衰退した地域の復興を、地域自然エネルギーを利用した産業革命で起こそうと考えた人物がいました。第三代京都府知事北垣国道です。明治になって西欧近代に追いつこうと、急激な変化を導入した東京政府に対して、今から見ると決定的なアンチテーゼを突きつけたことになります。
その地域自然エネルギー産業革命とは、琵琶湖疏水を利用した、衰退する京都をよみがえらせる事業のことです。琵琶湖疏水起工趣意書に見事に集約されている琵琶湖疏水案は、現代の目で見ると地域自然エネルギー産業革命宣言とでも呼びうる、画期的なものでした。

哲学の道は琵琶湖疏水の一部

自然エネルギー未来社会へ向けて

人も自然の一部、自然と敵対するものではない

産業革命は西欧近代の成果です。そして自然を征服するという考え方が根底にあります。自然は戦うべき敵なのです。
琵琶湖疏水起工趣意書及び北垣国道日記に北垣が書いた文が残っていますが、そこには自然を征服するという考えはほとんど見ることはできません。自然を上手に使わせて貰うという発想は頻繁に読み取れますが、自然と人は調和するものなのです。それが疏水自身にも現れ、哲学者西田幾多郎が好んで散歩をし、哲学の道として残っています。
自然を征服する(甘く見る)愚かさは、昨年末放映された故中村哲さんの言葉でも、非常に印象的に語られていました。医師としてアフガニスタンで活動し凶弾に倒れた中村さんですが、土地の人々を救うためには、貧困をなくさなければならないと、アフガンに疏水を引くことを考え実行に移します。その最大の難関が、川の流れ自身が氾濫することでした。それを避けるため中村さんは堤を考えます。うまく行ったと思えば、集中豪雨による決壊です。悩んだ中村さんが故郷北九州の川の堤を見て気付いたこと、それが川の流れをうまく利用する形の堤でした。それをアフガンの疏水に取り入れた後、中村さんの一言が入ります。「自然は恐ろしい。征服しようなどとんでもないと解っていたはずのことが、今よく分りました。」みたいな言葉でしたが、これは日本人が昔から共通して持っていた感覚です。日本伝統文化には自然を征服するなどと思い上がった考えはみじんもないのです。

最初に自然の中の人がいる

産業革命は人類の富を増しました。しかしその急成長は長続きしません。現代は化石燃料産業革命路線の撤退戦の時代です。撤退戦は難しい戦いです。失敗は許されないからです。この撤退戦に失敗すれば、人類の破滅を意味しかねません。
この撤退戦の戦略を指導する原理は、西欧近代主義ではありません。自然を敵と見なしてはいけません。我々人類は自然の中にあって初めて存在できるのだ、自然には勝てないとはっきり認識すべきでしょう。そのような考えは日本伝統文化には当たり前に入っていました。その原点に戻るのです。

人の集まる町から始めよう

近代化以来町は性格を変えてきました。近代化以前は、町は生活の場でした。すなわち住む場所、あるいは必要品を売り買いする場所、そして子供達が遊び成長する場所でした。労働の場所は田畑であり、また森や海でした。石炭による産業革命で、工場が増えた町は働く場となりました。また石油による産業革命で、町は移動の場所ともなりました。道に自動車が我が物顔で走るようになりました。
新自然エネルギー時代に向けて、町の役割から考えて行くのは、自然の流れでしょう。町は自然の中にあり、そして人が集う場所です。人が活動する場所です。単に自動車で通過する場所であってはいけません。何故なら自動車氾濫社会は、石油時代と共に終焉を迎えるのです。自動車氾濫社会の後、人が豊かに新しい時代を迎えるために、町のそして道の役割を考え直そうではないですか。

アフガンの 地に足跡を 残したり 新しき世を 拓くもののふ

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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