この本自体アヘンじゃないか?

本屋さんで立ち読みをしたこの本の「はじめに」のタイトルにSDGsは大衆のアヘンだというのがあり、興味を持ったので購入し、あらかたを直ちに読みました。久しぶりに大変面白く読んだ本になりました。しかしどうして文系の人はエネルギーを考察しないのか? 不思議に思う本でもありました。だってこの本の主題は気候変動を止めることにあります。気候変動の一番の悪役は、化石燃料ですね。化石燃料消費(それからもちろん原発も)を止めなければ、気候変動(環境悪化)は止まらないのです。化石燃料社会を自然エネルギー社会に変えなければならない。そのほうが皆が解りやすいメッセージであり、また有効な方法論も見つかると思いますがね。
化石燃料は有限な資源であり、一度使うとCO2となって空中に拡散し、また回収して使うことは全くの幻想であり実現しません。そうするとそのうち化石燃料は使えないほど高価になります。環境問題を考えなくても、脱化石燃料を考えないといけない時期になっているのです。日本でのエネルギーの話を聞いてると、化石燃料はいつまでも使えると考えての論考としか思えない議論が、平気でまかり通っています。持続社会へ向けて考えるべきは、脱化石燃料社会なのです。

CO2削減はまさにアヘンだった。

私は文系の人がSDGsはアヘンだという過激な意見を堂々と述べているのでびっくりしています。何故なら私自身この10年間CO2削減論はアヘンだと、つくづく感じているからです。出来るところから始めようの合い言葉で、マイバッグとか、レジ袋軽減とか、そんな運動で化石燃料消費を軽減するなど、笑止の極みだからです。
何故かは中学生程度の理科の知識を活用すれば解ります。中学程度の理科の知識を使って考えることが、「科学的に考える」という私の主張の理解に繋がりますから、つまらないと思わないでしばらくお付き合い願います。
レジ袋を一枚減らしたって、多く見積もってもガソリン0.001リットルの消費を減らす程度です。一方通常のガソリン車は1リットルで10km進みますから、レジ袋一枚削減は通常の乗用車走行を10m減少させると同じ程度にしかならないわけです。
そんなこと何故解るかって? 少し思考すれば解ります。ガソリンもレジ袋も石油から造られます。レジ袋を燃すと燃えますね? 燃えてどの位の火が得られるでしょう。 そしてガソリン1cc(0.001ℓ)を燃してどの位の火が得られるでしょう。
昔の大人だったら、自分で火を焚くのは日常でしたから、その違いは見当がついたでしょう。しかし今の大人は自分で火を焚くことから遠ざかっていますから、解らないと思う人が多いかも知れません。
それならこう考えてみましょう。レジ袋一枚とガソリン1ccはどちらが重い?これなら今の大人にも見当がつくでしょう。ガソリン1ccは水1ccより少し軽い程度、そして水1ccは1gで、一円玉と同じ重さです。レジ袋一枚と一円玉一枚どちらが重い? いや一枚じゃ軽すぎるから比べられないかも。一円玉を100枚集めたのと(100g弱です)、レジ袋を100枚集めたのは、どちらが重い? 
石油を1グラム燃すと熱エネルギーが決まった量発生します。もちろん軽油、ガソリン、灯油でわずかな違いがあります。しかしその違いはわずかなので、まずはその違いを無視します。
言い換えればガソリン100gとレジ袋100gは同じだけ熱エネルギーを出し、同じだけのCO2を排出するのです。
つまりレジ袋一枚の節約と、自動車走行10m節約は、どちらがCO2削減に貢献するかという問題を考えていることになります。ところで自動車に乗る人は、一日10mしか乗ってない人はないでしょう。わずか10mの距離に誰も自動車は乗らない。
だって一日一万歩歩きましょうと現代人は言っている。二歩で1メートルとして、一万歩歩いたら5000メートル、つまり五キロです。一日一万歩歩こうと主張するほうが、一日にレジ袋一枚減らそうという主張の、五キロ÷10メートル、すなわち五万倍の効果が、CO2削減に対して発揮できるのです。
エコはセクシーだそうですが、中高年でも健康のために推進する一日万歩運動の、わずか五万分の一のCO2削減を行うのがセクシーですかね。

この節のまとめ

レジ袋一枚削減は、乗用車走行10m節約と同程度の効果しかない。一日10km乗用車に乗る人が、レジ袋一枚削減でエコというのは、全く無意味である。

アヘンは無知から生まれる

このようにCO2削減論は、全く意味の無い形で誤解されています。その誤解を解くには、科学的知識を皆が持って、自分で納得して考えることです。中学校や高校で学んだ理科の知識で良いから自分で考えることです。
上の議論は長々と書きましたが、要はレジ袋もガソリンも石油から出来ており、重さが同じなら、燃せば同じくらいの熱エネルギーを放出し、同じくらいのCO2を排出することを知っていれば、すぐ解ることです。
西洋中世には免罪符というのがありました。カトリック教会には免罪符を売る権利があり、免罪符を得れば天国に行けるという、どう考えたってでたらめな人々の意識がありました。マルクスは宗教自体が免罪符みたいに作用していると思って、宗教はアヘンであると言ったのでしょう。私にはCO2削減の運動が免罪符みたいに思えてなりません。電気屋さんやガス屋さんがエコの話の主導権を握っている。そしてその信者達がボランティアで、ガス屋(大阪ガス、東京ガスなど)や電気屋(東電や関電)が垂れ流すエコの話を、大衆に向かってそのまま信心深く伝道していく。この伝道者達は、レジ袋を削減していますと言いながら、免罪符を貰った気になっている。

いやいやセクシーな環境政治家は昔から居た

そういえばコロナの中で毎日テレビ出演をギャラ無しで行っている人がいます。数十年の実績を持つタレントに高いギャラを払うより、落日のテレビ業界をもり立ててくれる、まるでテレビボランティア活動家である、ギャラ無しでテレビ出演に応じてくれるこの人を、業界は大切に希望の星として扱っているようです。
この人は毎日、テレビ局が集中する東京の、コロナ感染状況を説明するために、あたかも歌舞伎役者が花道から登場するみたいに、会見の部屋のドアから会見場所まで、カメラを独占して登場します。東京の庶民は待ってましたとかけ声を掛ける準備をします。
この人を最初私がテレビで見たのは30年ほど前のことでした。私と同じ名字の人でもあり、かっこいいなと思ってみていました。
そのうちにこの人は環境大臣になりました。CO2削減が盛んに言い始められたころです。学歴や職歴を全く気にしないこの人は、すばらしいキャッチコピーを言い始めました。ク-ルビズです。21世紀の初期の段階です。このころ世界的に、真剣にCO2削減が政治的にも問題になりました。事実先進国のほとんどで、この時期にCO2削減に舵が切られたことが、その後のデータで明らかになっています。
ところが不思議なことに、日本だけはクールビズのかけ声にもかかわらず、この時期にはCO2排出量が減少していないのです。そういえば若かったこの人もそのころセクシーさで売り出していましたっけ。この人などアヘン拡散人の一人ですね。

面白いのは第二章まで

本に戻ります。この本の最初の部分は大変面白い。世に広まっている怪しげな温暖化対策を片っ端から切り捨てています。そうこの部分までは、多くの人にも読んでもらいたいと思います。第二章までは大変に面白い。何しろIPCCのプランも切って捨てているからです。そしてそのほとんどが、正しい発想に基づいており、うなずけるものです。

科学を無視する社会科学者達

空想から科学へ-これがマルクス主義者の合い言葉だったはずです。しかしマルクス主義者達が一貫して行ってきたことは、基本的な科学に基づいた思考を行わないことであると思います。少なくともこの著者は、基本的な科学に基づいた思考を避けています。
例えば何故化石燃料消費をゼロに持って行かなければならないか? 私が憂えているのは、CO2ではありません。それは私にとって副次的なものです。私が一番恐れているのは、化石燃料の有限性です。有限な化石燃料は、徐々に得がたくなります。20世紀初頭には少し掘れば自動的にわき出た原油も、徐々に深くまで掘らねば得られなくなり、そのたびに原価が高くなります。要は石油価格は徐々に高くなる運命を持つということです。例えばガソリン代が二倍になったとき、貴方の家計に響きませんか?  電気代が二倍になったときどうでしょう?
ただでさえ勢いを失っている現代日本の経済です。もっと低迷が続くのではないでしょうか? 事実エネルギーの「専門家」達には、エネルギー価格が徐々に高くなることは共通認識です。
化石燃料と違う新しいエネルギーが見つかるだろう。それが化石燃料の代わりをしてくれる。人類にはその知恵がある、シェールガスとか、シェールオイルがあったではないか。そう思ったとすれば、貴方の科学のセンスはゼロです。シェールオイルはシェール層と呼ばれる深い地層の中に存在する石油です。化石燃料には、石炭、石油、天然ガスの三種類しか無く、シェールオイル、シェールガスは、それぞれ石油、天然ガスに分類されます。それも通常のものより間違いなく高価な。深いところから化石燃料を取り出せば出すほど、化石燃料は高価になることは常識で解るでしょう。
化石燃料は環境に害をなすことは間違いありません。エネルギーの性質により、化石燃料を消費すれば、最終的にはすべて熱エネルギーに変化します。化石燃料を使った火力発電では、発生した電気エネルギーは、大部分が都会に送られ、都会で消費されますが、消費された電気エネルギーの分だけ、消費場所で熱エネルギーに変わります。大量の電気を消費する大都会では、その分大きな熱エネルギーが発生し、都会を暖めます。都市部が周辺と比べて気温が高くなるのは、ヒートアイランドと言って、良く知られた環境破壊の一例です。ヒートアイランドでは、ゲリラ豪雨を多発させます。東京ではゲリラ豪雨が当たり前になりました。私は東京を離れて京都で3年、ゲリラ豪雨にはほとんどお目にかかりません。
火力発電で発生した熱エネルギーは、一部が電気エネルギーに変わりますが、残りは熱エネルギーのまま、他のエネルギーには変化できません。エネルギーの物理学の常識です。大量の電気エネルギーを発電する火力発電は、それに比例して排熱を排出します。例えば現代日本の火力発電では、化石燃料を燃して発生する熱エネルギーの40%が電気に変わりますが、残り60%は熱のまま残ります。
これは海に捨てるしかありません。ごみとして捨てられるのは、CO2というより熱なのです。熱は周辺の海を暖めます。この度合いは原発では更に酷くなります。原発周辺の海域は、常に高温になっています。熱帯魚を見るのも稼働中の原発周辺では当たり前の現象です。原発事故後日本のすべての原発が止まりましたが、そのとき地域の人達が経験したことは、熱帯魚が消え失せたことでした。
日本周辺の海域の温度は、100年前と比べて1~2℃海水温が高くなっています。その結果日本近海のサンマが少なくなりました。台風や豪雨が巨大になりました。これは必ずしもCO2排出のせいとは言えません。火力発電や原発の排熱と考えたほうが、多くの普通の科学者が納得する結論だと、私は原発事故以来の会話で感じています。
化石燃料の有限性と、環境に対する悪影響から、化石燃料依存を低めていかなければ、間違いなく人類は、あるいは日本の未来は、悲惨なものになっていくでしょう。
この本の書評には色んな意見が並んでいます。CO2増加による環境破壊についての疑念も有り、それはそれで一理あるのですが、化石燃料に長く頼るわけには行かないことは、もっと簡単な理屈で解るのです。
すなわち化石燃料は有限であり、環境にも多大な悪影響を及ぼす
CO2による温暖化は、科学者から見たら怪しげな議論ではあります。特にこの著者の書き方には、多くの科学者は違和感を覚えるでしょう。しかし化石燃料は有限であり、その廃棄物は大量の排熱も含めて環境に悪いのは、間違いないことです。化石燃料依存脱却-これこそが真に求められていることです。

脱炭素の戦略は、エネルギーを理解して始めて見えてくる

この著者は何を問題意識として出発しているのかが解りません。環境問題を解決したいと思っているのか? それともマルクスを復活させたいのか? 
環境問題を解決したいなら、エネルギーに向き合わなければなりません。それは専門家レベルの知識を要求されるのではありません。中学高校レベルの基本的知識で考えることが要求されるのです。
化石燃料による環境破壊は、この著者も最初に考えたように、産業革命を発端とします。産業革命で強くなった西欧近代社会は、世界の覇者としての地位を、徐々に確立していきます。19世紀のことです。まだ2世紀しか経っていません。そしてその優位性が崩れ、近代社会の欠点が大きく見えているのが現代です。近代西洋とどのように決別するかが問われているのです。マルクスは近代西洋の中での一つの思想です。確かに現代にも通用する点もあるでしょう。しかし主たるエネルギーを化石燃料から自然エネルギーに変えていこうとするとき、化石燃料をガンガン使い始めた西洋近代の中の一思想を使うのは、哲学の貧困では無いでしょうか?
その結果、この本の結論は残念ながら全く実りが無い、科学的に意味が無い結論になっています。この本に飛びつきそうな読者は大都市圏、特に東京の人達でしょう。東京と京都で市民生活をする中で得た感覚から言えば、京都人にこの本を熱狂的に支持する人がいるとは思えず、また地方に多いとも考えにくいと感じています。そしてこの本の最後の主張、3.5%が支持するコミューンも、大都会を連想しているでしょう。しかし大都会でコミューンをしても無益です。だって大都会こそが、産業革命の結末であり、自然エネルギー社会を築くには、大都会を解体し、地方分散型社会を築くしかないのですから。

こう考えてくれば、この本自体が解体するべき大都会の人達のアヘンになる可能性がある、そう強く思えて来ました。大都会の人はアヘンを必要とするほど困惑している。それを大都会を含め一般の人に認識してもらうことも、歴史の転換点である現代に必要な作業であると、この本の著者に敬意を払いながら。

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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