京都の喫茶店

京都では喫茶店でゆっくりしましょう

京都ではオーバーツーリズムが問題になっていたと思ったら、コロナで急速な観光客離れ。緊急事態宣言のおかげで哲学の道などの観光地も、人通りが途絶え、私が学生だった50年前の哲学の道もこうだったと思い出すほどの静かな小径に戻りました。
京都は観光客がいなくなればやっていけないほど、観光に経済を頼っています。これを機会に京都のオーバーツーリズムを克服した観光のありようを考えて行くべき良い機会なのかも知れません。
私は常々思うのですが、京都は観光スポットを回るだけという訪れ方はもったいないのです。道を歩けばあちこちに京都らしさを見つけることが出来ます。例えば道ばたのそこかしこにお地蔵さん。町内に一つは必ずお地蔵さんがあります。そして誰かが必ず手入れをしています。
喫茶店が多いのも京都の特徴でしょう。そしてパン屋さんも。パンと京都って、何だか似合いそうもないと思う人もいるかも知れませんが、パン屋さんが多く、またおいしいパンを好むのが京都人なのです。洋菓子やスパゲッティも、おしゃれでおいしい店が多いのです。

新しい鎖国状態を上手に利用し京都観光モデルを

コロナの第一波は思った以上に日本では上手に収束しました。これは長く積み重ねた歴史の力と私は思っています。
別の記事に書きますが、日本では疫病対策が昔から非常に重要な事だったのです。京都の大きな祭りのほとんどが疫病退散祈願が起源でした。祇園祭りは疫病が猛威を振るったとき、祈祷で疫病を追い払うという行事から始まったことは良く知られています。葵祭も大文字も病気を退散させるという願いが込められています。
このように昔から庶民にとって病気退散は基本的な願いでした。そして疫病が広がりにくい文化を日本人は古来から創り出してきました。それが今でも残っていて、日本での感染拡大防止に繋がったのではないかと私は考えています。町中で見られるお地蔵さんも、病で死んだ子供の霊を慰めるため。感染によって子供達が死んでいった歴史が繰り返されたのかも知れません。地蔵盆という子供達の為の病よけの祭りが、各町内会で残っているのは京都特有の文化です。

京都人は密を嫌います。

中国で発生し中国で猛威を振るったコロナウィルスは、中国人観光客によってイタリアに持ち込まれ、イタリアで急激に感染を広げ、そこを基にあっという間にヨーロッパで感染爆発を広めました。感染の初期、中国からの旅行者に安倍内閣は制限をかけず、後に対応が遅いと非難の対象になりました。安倍さんがいくら日本モデルと言ったところで空虚なだけで、対応が良かったとは誰も言えない状況を自ら作り出したのです。
京都は不思議な町です。イタリアと同じようにオーバーツーリズムに悩みながら、コロナ感染の爆発はなかったのです。爆発どころか、初期に観光客からうつされた人はわずか一人でした。さすが京都の町は奥が深いとそのとき思いました。感染に強い何かが日本にはあると。
京都の人は密を非常に嫌います。哲学の道が「密」になったから、行きたくもなくなったと、ほとんどの人が言います。京都人が密を嫌うのは、喫茶店に入ってみるとよく分ります。
私は二年少し前までは東京にいたのでよく分りますが、京都の喫茶店はほんとにゆったりしています。東京ではコロナのおかげで密を嫌い、机をいつもより離してみたいな対応がされていると報道で伝えられましたが、京都標準に近づいただけです。ゆったりするのが喫茶店の魅力なのですから、東京のように密な喫茶店では客が入らないのです。
時間もゆっくり流れます。京都ではコーヒーを一杯飲んだらすぐ出て行くみたいなことはありません。二杯目もゆっくり楽しむみたいなことも多いのです。そのためか、二杯目は半額程度で飲めたりします。店によりますが。でもコーヒーを前面に出しているほど、そのような店が多い気がします。
イタリアと京都の違いがここにあるかも知れません。
よくイタリアはスローライフと宣伝されますが、私がイタリアに始めて行ったとき、驚いたのがバールでの慌ただしさでした。とてもスローなどと言えたものじゃない。大声でボンジョルノと言って入ってきて、エスプレッソ(考えたら急行という意味)で、何か置いてあるパンを一つ食べながら大声で話をし、さっと小銭で支払ってまたボンジョルノと言ってばたばたと出て行く。何がスローなものか。
間違いなくこのスタイルは京都になじみません。考えて見れば京都の人(私は京都の人ではない)が、慌ただしい様子を見たことがありません。ひょっとして慌ただしいところは人様に見せるものではないと考えているかも。
以前だと京都の人は入りづらいお高くとまっていると、考えたかも知れませんが、人前では落ち着いて、ゆったりした空間を保つ(言い換えればソーシャルディスタンスを保つ)ことが、感染防止に大切であることを、代々の京都人が学んだ上での、それが文化になったのかも知れません。

密を避けた京都観光を楽しもう

私は日本の不思議を産んだのは、日本伝統文化だと思っています。感染に常に襲われてきた日本の、悲しい歴史が背後にあったのだとも。その伝統は恐らく日本各地にあるでしょう。その伝統を再発見し、それを現代と未来に活かすことで、感染の世紀として始まった21世紀を、希望に満ちた持続社会への始まりの世紀にすることが出来る、いやそうすることが現代人の役目であると。
そのような伝統のわかりやすい例は、私にとっては京都にあります。それも観光客が押し寄せる観光スポットではなく、京都のあちこちに見ることが出来ると思っています。
そのような情報をこのブログで発信していきたいと思います。何の変哲も無い街角の喫茶店。でもそれは50年前、私が大学生の頃にもありました。今も同じたたずまいでその店はあります。例えば銀閣寺道の近くの喫茶店。すぐそばには哲学の道に続く道があるのですが、お客は昔から変わらず、地元の人ばかり。
銀閣寺道の近くには神楽ヶ岡という吉田山に通じる道があります。「神楽ヶ岡の初時雨、老樹の梢伝うとき・・」酒を飲んで第三高等学校の寮歌を口ずさみながら、神楽ヶ岡を行き来したものでした。
神楽ヶ岡をのぼっていくと、右に天皇の御陵があります。後一條天皇の御陵で、これも50年前のたたずまいと全く同じなのですが、調べると後一條天皇は今からちょうど千年前の1020年に在位されていた天皇です。藤原道長が自分の娘を入内させ、権勢をほこる土台を作ったと日本史で教わりました。その后に仕えたのが紫式部ですね。
こういう道を歩いて、そして昔からある喫茶店に入り、長い歴史を感じて見る。
そのような京都の旅をこのブログではご提案したいと思います。そしてその中から、少しずつ未来が見えてくる・・そのような場を提供するブログに育てばいいな。

まとめ

密を避けた京都観光を始めましょう。京都の小道には歴史が溢れています。そして少しくたびれたら、地元の喫茶店でゆったりと、おいしいコーヒーを飲んで、千年の文化を感じましょう。

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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