京都自転車散策-with coronaの地方都市

地方都市でwith corona  梅雨開けに

コロナで緊急事態宣言下でも、天気が良い日は毎日自転車で散歩をしていました。家からすぐ近くの琵琶湖疏水に出ます。疏水を辿れば銀閣寺道、そこからの疏水が哲学の道です。
適度な地方都市では、感染の危機においても、人と出会う危険を極力さけて、日々の散歩を楽しめる例として、写真を撮るのは下手ですが、皆様に納得してもらえたらと、コロナの中での日々の生活を記録していこうと思っています。まずは手始め梅雨明け編です。

西に傾いた日が作る私の影が疏水端に映ります。

梅雨が明けたので、夕方涼しくなったいつもの道を、カメラ片手に自転車で散歩に出ました。夕日が長い影を作っています。雨上がりの空気は澄み、青い夏空に梅雨で深まった緑が映えます。東西南北に伸びる京都の道は、東に向かう道を、長く伸びた影が指し示してくれます。

程なく疏水端に着きます。私の影が長く疏水へ伸びています。四季を問わず、疏水は花で迎えてくれます。哲学の道の近くなのに、四季を通じて観光客の姿はなく快適な散歩道です。

疏水をしばらく辿れば京大裏通り、農学部グラウンド(農グラ)が見えます。私が法政大学に着任したころ、京大はアメフトが強く、そのころやはり強かった法政と、甲子園ボウルで対決する年もしばしばありました。そのころのアメフト部の部長で、旧第一教養部の名部長でもあった中島時哉さんと、よく応援に行ったものですが、いつも時哉さんから「おまえはどっちを応援してるんだ」とからかわれたものです。
その京大アメフトは、今もこの農グラで練習しています。そりゃぁ「新生の息吹に満ちて」って、これは「しんせいにいこいにピース」なんて替え歌で歌ってたけど(この当時の学生は皆たばこを吸っていた)、これ京大の応援歌。法政の応援歌には替え歌がないから覚えない。

京大農グラ脇の疏水。右に農グラ。自転車の上からのワンショット。

さらに疏水を辿ればすぐに銀閣寺道。ここからの疏水が哲学の道と呼ばれています。

銀閣寺道の交差点から見える大文字。梅雨開けには「大文字」の三角形のキャンパスまで緑に染まります。

いつもは哲学の道に入らないのですが、今日はちょっと寄り道をして入ります。コロナのおかげで、いつもは観光客でごった返す哲学の道も閑散としています。学生時代を思い出させますが、そのころと違うのは、道ばたのお店ですね。昔はお店もありませんでした。

閑散とした哲学の道

神楽が岡の入り口に戻ります。銀閣寺道の交差点のすぐ西です。神楽が岡の道路標識があり、左に石造りの古い標識。後一條天皇陵、陽成天皇陵と並べて書いてあります。
神楽が岡の道は、最も傾斜が緩やかな吉田山への道です。ほとんど上りの感覚無しに、自転車でスイスイ吉田山中腹の真如堂まで到達できます。自転車にとってとても有難い道です。裏を返せば銀閣寺道交差点自体高い場所にあり、そこから南へあるいは西へ、かなりな急坂が延びているわけです。自転車でこの一帯を回るときの要注意点です。

神楽が岡入り口、後一條天皇陵、陽成天皇陵の標識も見える。

神楽岡を左に大文字を見ながら上っていきます。ほとんど上りの感覚はなく、軽快に自転車が走ります。

道を上りきる頃、右に後一條天皇陵があります。道を振り返ると遠くに比叡山。都の鬼門にあるので、延暦寺が建てられました。調べて見ると後一條天皇はコロナ禍真っ最中の今から数えてちょうど千年前の西暦1020年、在位されていた天皇でした。千年の歴史の重みを感じながら、後一條天皇のお墓にお参りします。
後一條天皇陵の隣には吉田山荘。ちょっと贅沢に食事など?吉田山荘の隣には宗忠神社への登り口。宗忠神社から吉田山山頂に出ることが出来ますが、自転車じゃちょっと無理ですね。
宗忠神社の反対側を見ると真如堂。紅葉の名所です。真如堂まで200mほどかな。自転車ではあっという間です。真如堂の三重塔が見え、途中には陽成天皇陵。散歩にもってこいの道です。
真如堂の横を通り抜けると、ちょうど寺の一つの屋根に、十二夜ほどの月が出ていました。「月こそかかれ吉田山」です。この当たりまで、下のスライドでご覧下さい。

  • 神楽が岡の道標と後一條、陽成両天皇陵の道標

先ほどの神楽が岡の入り口付近に戻ると日がまさに落ちようとしていました。写真など撮っていたので、いつもより時間がかかってしまいました。
ついでに寄り道して、湯川秀樹先生の像にご挨拶。大隈重信さんとか、坪内逍遙像のほうが、ずっと立派ですね。それにこの像は湯川さんに似ていない。この建物の二階で湯川さんの講義を聴きました。研究所で学生が来るところではないから、階段の上り下りは静かにとか言われながら。湯川さんの定年前の年で、工学部の学生なども聴講し、二百人くらい聞いていたかな。まだ日本人でノーベル賞を受賞したのは、湯川さんと朝永さん二人だけの時代です。
ぼそぼそという感じのしゃべり方でしたが、後で考えれば名講義だったな。物理学は文化であり哲学でもある。そう感じさせる授業は京大では多かったですが、その中でも格別でした。ご自分でも東洋哲学と物理学の関連を一番考えておられた時期だと思います。
その道を北に回ると先ほどの農グラに出ます。農グラに出る少し前、農学部の古い建物の上に名月が先ほどよりはっきりかかっていました。
疏水端に出て、農グラを通して西を見ると、ちょうど日が落ちたあとの夕焼けが、西山の上を飾っておりました。この情景もスライド写真でどうぞ。

夕月や 梅雨の名残か あかね雲

  • 神楽が岡の入り口に戻ってきた。写真を撮りながらで、いつもより時間がかかったが。
  • 京大キャンパスに寄り道。旧湯川記念館、今は基礎物理学研究所旧館。まるで似てない湯川博士像
  • 京大農グラ横の裏門近く。大文字にかかる夕月。
  • 農グラ脇の疏水端に戻る。
  • 農グラを通した西山風景。西山にちょうど日が落ち、夕焼けが美しい。

この一回りに要する時間はおよそ40分。時々散歩の人と出会いますが、ソーシャル・ディスタンス以上の距離は常に保たれます。

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

おすすめの記事