コロナ渦は地域分散型社会へのチャンスである

相変わらず東京幻想を持っている人が東京にはいるようですが、東京が一番進んでいるという感覚は、東京が一番遅れているという現実をしっかり見れば間違っていることが分るでしょう。東京は感染拡大を抑えるのに、間違いなく遅れています。

東京は遅れている

東京は遅れています。何故か。6月が終わろうとする段階で、東京の新規感染者は毎日50人出るようになりました。それに引っ張られて、日本の新規感染者が100人を越えるようになりました。
5月を考えて見ましょう。5月は毎日感染者数が減少し苦しいながらも希望を持てた月でした。全国でもまた東京でも、日に日に新規感染者が減少していきました。しかしこの段階ですでに東京の遅れは明らかでした。何故なら緊急事態宣言が解除された時点で、感染者数がほぼ0に抑えられない地域は、東京・北海道・福岡だけでした。多くの地域で感染者数が0になり、その状態が続く県が都道府県の半数以上ありました。明らかに東京は遅れていたでしょう。
緊急事態宣言の解除のとき、東京は毎日20人ほどの感染者が出ていました。
全国での劣等生です。何故誰も東京が劣等生であることを言わなかったのでしょうか?そしてそのままずるずると東京の感染者数が増えています。都道府県をまたいだ移動自粛要請も基本的に緩和されたので、東京との人の往来で、各地にも感染者が増えつつあります。
関西地区もほぼ感染者ゼロに抑えられていましたが、ここ数日大阪と京都で複数名の感染者が出るようになりました。新規感染者数が全国的にほぼ0に抑えられて、でも東京だけ残っている段階で都道府県をまたいだ移動自粛が緩和されてほぼ2週間以上が立ちました。明らかに東京が悪いのです。これはしっかりと認識しないといけません。

地域はチャンスである

一方進んでいることを証明した地域はチャンスでもあります。大都会で多くなりすぎた人口を受け入れ、先進的で優秀な中規模小規模な企業を受け入れ、地域の経済を豊かに出来るまたとないチャンスです。
そのためには受け入れを準備しなければなりません。大都会の良いところは取り入れなければいけません。それは何でしょうか?

公共交通機関を整備しよう

東京の進んでいたことの第一は、公共交通機関が充実していることでした。東京は車を持たなくてもいいのです。住居地と勤務地がはっきりと分かれ、例えば千代田区などは昼間人口と夜間人口でははっきりと差があります。皆千代田区に務めるが、千代田区には住んでいないのです。住と働の場所がはっきりと分かれ、その間を鉄道網が密に張り巡らされています。
こういう構造は今後残っていかないでしょう。地域では住と働の区別が、空間的にもまた時間的にも、曖昧な区別になるような都市構造になるでしょう。21世紀型の進んだ公共交通網、これを整備しないといけません。自動車がなくとも生活できる、そのような都市空間を整備することが重要です。21世紀には徐々に石油価格が上昇します。自動車会社は盛んに幻想を振りまきますが、自動車離れが加速していくことは、21世紀を通じて避けられないことです。
富山や宇都宮でLRTが進んでいます。間違いなくこれらの都市は、21世紀後半には、先進地域だったと評価が決定しているでしょう。自動車を使わないで生活できる町、これを進めていかなければなりません。
人々が公共交通機関の整備されていない地方都市に移住し始めた、これは自動車産業のチャンスだ、このように自動車産業が考えるとすれば、日本を決定的に先進国の座から引き下ろした罪で、そのような主張をした人は、後世に憎まれ者になっているでしょう。安倍さんが間違えなくそうなっているように。また小池百合子さんが間違いなくそうなっているように。
何故なら二人とも長く権力の座にしがみついたが、何の結果も出していないのです。危機の21世紀初頭に何をしていたのだと、21世紀半ばには非難されるのが眼に見えています。もっともその頃には二人とも生きてないでしょうし、二人とも死後の評価など全く関係ないと考えているでしょうから、始末が悪いのですがね。このような土壌は現代日本社会が生み出しました。

もとに戻りましょう。公共交通機関の整備です。それもバスではなく鉄道です。何故なら鉄道は原理的にもエネルギー消費が非常に抑えられる乗り物です。将来にわたって残ります。持続社会では中心の乗り物になるでしょう。
そして電車の役割も変わってきます。20世紀までは、電車は通勤のためのものでした。町の中心部に第三次産業のための一等地が集中し、それから放射状にそこで働く人達の住宅用に駅が作られ、過度な通勤ラッシュが必然的に発生しました。
現都知事は通勤ラッシュゼロを七つのゼロの中に入れるなど、どう考えたって無理な公約を掲げて当選しましたが、通勤ラッシュゼロの公共交通機関は地方都市でこそ可能です。何故なら電車は通勤のためでもあり、それ以上に生活の為でもあるからです。

多目的公共交通機関としてLRTの整備を

LRTとはLight Rail Transitnoの頭文字を取ったもので、新世代路面電車などと訳されています。まさに電車の概念を全く変えるもので、その魅力はそれが整備された欧米の町を訪れると明らかなのですが、古い路面電車とどのように違うのか日本ではほとんどの人が解って無くて、初期投資がほとんど必要ないバスと違って、初期投資が比較的大きいので日本では普及しません、
しかし21世紀型の先進都市を目指すなら、是非とも必要なものです。LRTの記事は折に触れてこのブログでも紹介していきますが、とりあえずは千年文化を考える会のHPにリンクを張りますので、それでご確認下さい。

写真付きの世界各地のLRTの解説はこちら

LRTが通るトランジットモールを

一言で言えば、LRTは生活空間を走る路面電車です。そして通勤用とは全く異なる性格を象徴的に表すのが、トランジットモールという空間です。
トランジットモールを理解するために歩行者天国を思い出して下さい。歩行者天国の中で路面電車がゆっくりと走っていることを想像して下さい。それがトランジットモールを理解する第一歩です。歩行者以外では、ゆっくりと走る電車(それと少ない量の自転車)だけである、人中心の生活空間です。
歩行者天国は、日本でもおなじみとなりましたが、人中心の空間です。道路の両側には様々なお店、レストラン、カフェが並び、人々は生活を楽しむためにそこにやってきます。アフターコロナでは生活が重視され、このような空間が重視されるでしょう。
歩行者天国はにはどのようにしていくのか? 東京では鉄道駅で降り、階段を昇降して始めて行き着きます。地方都市ではバスを降り、バス停からしばらく歩いて行きます。バスが走る道はすなわち自動車が走る道であり、そこは歩行者天国ではあり得ないからです。
LRTが走るトランジットモールではどうでしょう? LRTを降りたらそこがトランジットモールです。だってLRTが走れる歩行者天国ですから。それもLRTと歩行者道路とは、段差無く繋がります。バスではこれは不可能です。
日本ではバリアフリーと言って運転手さんや駅員さんが車いすの人の昇降を手伝います。トランジットモールでは、いや整備された町のLRTでは、このような光景は全く見ることがありません、何故かと言えば、LRTの床と停留所の路面とは、全く段差がないように設計され、したがって車いすの人はあたかも平坦な道を自分で移動するように、LRTの内部から外部へ、外部から内部へと、誰の手も借りる必要なく、移動できるのです。

トランジットモールの中を電車が走って歩行者は不安にならないのでしょうか? それが全くならないのですね。電車はゆっくりと走ります。恐らく時速10km程度で。車と違って電車は横にふらつきが全くないですから、電車が後ろから来ても歩行者は全く気にしません。線路からこれくらい離れていれば大丈夫と知っているのです。また信号も必要ありません。道を横断するとき、歩行者は左右を見て、電車が充分遠ければ安心して渡ります。自動車と違って電車はひっきりなしに来ることはありませんから。

自動車と電車の共存

トランジットモールでは自動車は走れません。自動車の役割がそれだけ少なくなります。実は自動車は化石燃料をがんがん消費します。CO2排出が問題になりますが、自動車の走行を減らせば、間違いなくCO2削減に大きく貢献するのです。
しかし自動車の役割は終わったと考えるのは、まだまだ先のことです。自動車はまだ必要です。それもかなりの量。今私たちに出来ることは、自動車の必要性を徐々に少なくする方向性を付けることです。それには生活空間で活躍する電車LRT導入を進めるのが良いのです。
さてそういうわけで、電車と自動車はこれからも共存していくでしょう。

排除の歴史

かつてモータリゼーションが進められたとき、自動車の邪魔だと言って、路面電車が廃止されていきました。交通渋滞を招く張本人が電車と思われたのです。馬鹿な思い込みでした。
自動車はそれぞれ勝手に走ります。そこで時間制の信号が交通整理を始めたのです。戦後日本ではGHQが、すなわちアメリカからの占領軍が、手と体を使って交通整理を始めました。人が交通整理をしていたので、渋滞の具合を見ながら、渋滞が少なくなるよう交通整理をしていたのです。
それを一律な時間制で信号が点滅し交通整理をするようになりました。人の判断が入らなくなり、渋滞を避けながらの交通整理が機械的なものに変わり、自動車と異質な電車が排除されていったのです。
このころから多数の動きと異質な動きをするものを「排除する」発想が支配的になっていったのかも知れません。現代日本の「排除」の論理は、異質な政治家が悪利用するようになりました。詐称してないなら簡単に排除できる学歴詐称の疑いを、疑念晴らしもろくにできない全く「異質な」政治家が、「異質なもの排除」で成り上がっていくというのは、悪い冗談でなく何でしょうか。
異質なもの排除の論理に乗っかった日本国民に対する、歴史のしっぺ返しであるようにしか見えませんがね。

交通の流れを作るLRT

その異質な電車を、交通の流れを作り出すものとみればどうなるでしょうか? 
その答えはLRTで成功した欧米の多くの町で見ることが出来ます。信号がLRTの動きに合わせて変わるのです。
こうすればLRTは渋滞に巻き込まれることなく、スムースに駅~駅をマイペースで移動できます。いや運転手は渋滞を引き起こさない速度を保ちながら運転をしているのでしょう。電車の動きに合わせて、比較的速さを変えやすい自動車が従います。昔の交通警官の役割をLRTの運転手が果たしているのです。その結果でしょう。LRTが走る欧米の町で、深刻な渋滞を見たことがありません。

まとめ

東京は時代遅れになりつつあり、地方都市がこれから発展のチャンスを持ちます。その発展を支えるためにLRT導入を考えましょう。発想を根底から変えることが必要です。

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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