未来を拓く人達Ⅰ-IT技術者

コロナ禍で時代を変えるもの

現在コロナ渦の最中です。これが収束しても、また同じ社会には戻らないでしょう。大都市圏の脆弱性が明らかになりました。アフターコロナでは、時代は大きく変わります
何がどのように変わるのか、誰にも確実なことは言えません。誰もがより良い未来が待っていると期待したいでしょう。それを切り拓くのは、若いこれからの人々です。
時代を変える推進力として、間違いなくIT技術があります。私が生まれた頃には生まれてもなかった技術ですが、現在IT技術がない生活は考えられません。私の方がIT技術より年を取っている、何か奇妙な気がします。そして限りある命が定めの人とは違い、IT技術はこれからもどんどん成長していくでしょう。

思い出すIT技術の進歩

赤ちゃん~子供時代

50年前、私も生まれたばかりのIT技術を身につけました。そのころは電子計算機といって、今のパソコンにも及ばない今から見たらおもちゃみたいなマシンが、大きな建物に入っており、それも有力大学にしか入っていない希少価値を持つものでした。それでもそれを動かすには、言語を習得し、その言語を駆使して、何かを生み出さなくてはなりませんでした。IT技術の赤ちゃん時代です。
私は駆け出しの科学者として、物理学上のある基本方程式を、その当時の大型計算機を用いて与えられた条件下で解き、物理学のある分野で行われる実験を解析説明し、新たに興味ある実験を提案し、それによって原子核の振る舞いを理解する、そのような研究を行っておりました

京大学術情報メディアセンター(北館)。50年前は大型計算機センターとして、生まれたばかりのITマシンが置かれていた。この建物自体、そのマシンの為のものだった。

必要とされたのは基本では今と変わらないことでした。まず言語の習得、あるいは既存のパッケージの理解と活用、そして斬新なアイデアとやる気、および根気、エラーを探し出す能力などです。特に斬新なアイデアは必要でした。そのためには多くの人との交流と、自分のペースを持っての働き方が、不可欠であることを、いつも感じていました。
私はIT技術の成長を目の当たりにしてきました。私が始めた頃、大型計算機センターに通うのは、ほとんどが野暮ったい男ばかりでした。私みたいな理系の研究者の卵が、やっかいな方程式を解いて、研究の成果を上げたいと通っていたのです。
しばらくすると、若い女性が目立つようになりました。文系の先生方が、統計処理の能力に着目し、教え子達と一緒に通うようになったのです。IT技術の応用が広まった瞬間でした。赤ちゃんが成長を始め、子供へと育っていったのです

30年前ネットのはじまり-BITNET

その後もIT技術の応用はどんどん広まります。私が法政大学に着任したとき、是非導入して欲しいと同僚の先生方を説得するのに大変苦労したシステムがありました。e-mailの先駆けBITNETです。その便利さは当時の日本の大学の先生達も、誰も経験したことがないものでした。通信には手紙しかなく、手紙は例えばアメリカに送れば、一週間近く経ってやっと届きますから、いったん手紙を書くと、二週間ほど経たないと返事が返ってきません。今のような翻訳ソフトはありませんから、自分が英語でかき、英語を自分で読む必要がありました。
今から考えると信じられないことですが。大学を説得し大学全体で20万円を出させるのに数年かかってしまいました。そのころパソコンは普及しておらず、BITNETを利用するためには、大型計算センターまで足を運び、そこの端末機からe-mailを送るか、研究室まで線を引いて、そこに端末を置いて利用するだけでした。端末は独自のCPUを持たず、電気信号をセンターに置かれた大型計算機に送るだけでした。大型計算機のCPUが付随してソフトも持ち、そのソフトを動かして利用者が大型計算機を利用していたのです。大学の一つのキャンパスで全員が使うために必要な金額20万円を出させるのに、数年の説得の年を費やしました。30年ほど前のことです。

アメリカ首都ワシントンにあるジョージ・ワシントン大学。35年前私はここで研究に従事。BITNETを知り日本に帰ったとき導入しようとしたが難航。わずか20万円だったが、誰もその利点を理解しなかった。

その後徐々にパソコンが普及し始め、パソコンからネットに入りという現在のスタイルに変わってきたのですね。このあたりからは「ああ、そうだった」と思う方も多くなるでしょう。急速にインターネットが普及し、誰もがパソコンを持つようになり、社会が大きく変わりました。それでも今思い出しても若い人には信じてもらえないようなこともありました。パソコンのデータはフロッピーディスクというものを使うのが常識でした。ヨーロッパに行って仕事をしたとき、USBメモリーを見てびっくりしました。20年前のことです。それより20年前には、私自身の作成したソフトを海外に持って行くためには、カードをひと箱郵送したり、少し後には直径30cmほどのテープを持って行ったりしたものです。それが今では余裕でUSBに入ります

私のキャリア

私の経験談に戻ります。先に書きましたように、大学院修士課程で研究を行うために、まずそのころ理系の計算で必須だったFORTRANを習得し、練習的な問題を解きます。先生も先輩もだれも言語さえ知りません。すべて自習です。しかし京都の自由な雰囲気の中で、アイデアだけはわいてきます。そして博士課程で懸命に研究した研究が、ささやかな分野ですが世界的に認められ、オーストリアのグラーツで開かれた国際会議で発表が出来ます。会の記録には、会の成果の一つとして、私の研究も上げられました。それをきっかけに世界のあちこちで研究することが出来ました。色んなところで研究して、今の私があります。72歳になっても、来るべき次の社会を考え、このブログを書くなどの活動をしています。70過ぎてもブログのためにwordpressを導入し、少しずつでも改良しながら独学でこのブログを書くことが出来るのも、若き日にFORTRANプログラミングで、基礎を鍛えたからだと思っています。また世界各地で経験を積んだことも大変役に立ちました

IT技術を生かしてキャリアをアップしましょう

コロナ禍で時代が変わろうとしています。それは若い人達にとってチャンスでもあると思います。IT技術を身につけた人なら、その技術を生かす職場は様々に作り出されていくでしょう。過去もそうでした。10年で社会を大きく変えるのはIT技術です。IT技術を身につけたら、自分に合った働き方で、多くの人と交わり、また新しい土地も知って、大都会集中にこだわらない社会を作り出す一員になることが出来ます。素晴らしい人類の次の時代を是非造り出して下さい。
キャリアアップの手助けとして、また自分らしい生き方の手助けとして、ご参考までに。Midworksが、皆様の参加を招いています。

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