strategy

アフターコロナ社会への展望

未来社会への展望を考えて見ましょう。未来社会の骨格は地域分散型社会です。人口の流れとして、産業革命以来急速に進展した都市集中型社会とは逆の流れが始まるのです。
まさに産業革命以来の、社会の大変動になります。何より今回のCOVID-19の大猛威に脆弱さが露呈した大都会には嫌気がさした人や組織は多いでしょう。またテレワークで何も東京のど真ん中のオフィスに通う必要は無いじゃないかと、考え始めた人や組織も多いでしょう。
そういう人や組織が、気に入った地方都市に分散を始める、そして縮小する地方都市で頑張っていた人や組織と協力して、持続的な地方都市にそこを変えていく、そこには新しい吸引力が生まれ、新しい経済も回り始めるでしょう。
その為には、まず気に入った地方をそれぞれが見つけ出さなければ。だからまずは国内旅行をしましょう。

一年かあるいはもっと長く、日本は鎖国に戻ります。

ニュースなどでかなりの多くの人がもう知っているでしょう。COVID-19の感染拡大の第一波は、驚くほど見事に収束しました。これは先進諸国の中では日本特有の現象です。東京では不気味にまだ感染者が出ていますが。しかし第二波がまた襲って来たわけではないと思えます。
世界各国では、特に欧米諸国では、これほどうまくは収束していません。多くの国で毎日発表される新規感染者数が減少はしないけど拡大してはいないという状況になっているだけです。
新規感染者数が減少はしないけど拡大していないとはどういうことか解りやすく説明しましょう。日本での現在の新規感染者数は数十人です。つまり二桁です。これが三桁になったり、逆に一桁になったりしていない状態です。
ヨーロッパで見てみましょう。例えばオーストリアでは感染者数の推移は日本と同じような経緯をとりました。
ウィーンフィルのコンサートが誇らしげに再開したニュースが映像で流されたばかりです。心底うれしかったことが伝わるニュースでした。そのように現在は収束して新しい感染者数は日本同様二桁です。しかし人口が違います。日本の一億二千万に対して、八百万です。割合を見ればドイツと比較できます。ドイツの人口は八千万。そして現在のドイツの新規感染者数は三桁で推移しています。
ドイツやオーストリアは、ヨーロッパの中では成功した例です。それでも人口あたりの感染者数は、日本より一桁多いのです。イギリスやアメリカは新規感染者数は増加していないと言っても、ピーク時の数と比べて決して小さくなったとは言えない状況です。イギリスの新規感染者数は千人以上、アメリカは一万人程度が続いています。減少はしないが増加もしない状態は、多くの先進国でこのようにつらいものなのです。
こういう状況を踏まえると、日本と欧米諸国が以前と同じように、互いを自由に行き来出来るようには、今年中になるとは思えないと判断すべきでしょう。思い切って一年以上鎖国状態に入ると考えた方が、しっかりとしたアフターコロナの戦略を立てることが出来そうです。

国内旅行から始めましょう

鎖国の間に日本経済を動かし始めましょう。日本の各地を旅行して、日本の良さを知ろうではないですか。政府のGo toキャンペーンは、例によってもたもたしていますが、それを批判するだけではアフターコロナの展望は見えません。アベノマスクに続いて、やっと一人10万円の給付金が出回り始めたようです。もちろん金銭的に死活問題である人は、少しは息が出来るようになるでしょう。
一方で比較的ラッキーな人もいるでしょう。テレワークで業績悪化を免れることが出来た会社に勤める人もかなり多くいらっしゃるに違いありません。そのような人もしっかりと10万円をもらいましょう。そして鎖国の間に日本を旅行して回りましょう。
それが貴方と貴方の家族だけではなく、日本経済と日本の未来の為になるのです。単に旅行をするだけではなく、転居して家族と長く住む候補地を探して。したがってある程度長い滞在を楽しみ、その地をしっかりと見定めることに主眼を置きます。たとえすぐに転居するのではなくとも、機会を見て転居をでも良いでしょう。新しい生活様式、都会を避けて暮らし始める計画をスタートさせるのです。それが自然エネルギー未来社会に通じるのです。

地域活性化のチャンスです

一方では地域活性化のチャンスです。地方経済にとっては、単にインバウンドの落ち込みを補うだけではなく、今回一番の打撃を受けた旅行業界に息を吹き返してもらうチャンスでもあります。また移住をも視野に入れた長期滞在客をホテルで優遇し、そこから町を知ってもらうため、地元住民が常連であるような、地元に根付いた店に誘導します。そういう店が多いほど、ここにテレワークの本拠を置こうとか、こちらに転職して東京を離れようとか、そう決意して頂ける人や組織を誘導することに繋がります。

参勤交代で鎖国日本の経済がまわりました

江戸の町は18世紀にはすでに世界有数の大都市だったそうです。でも江戸時代以前は、単なる一地方にしか過ぎませんでした。
何故単なる地方都市ー江戸ーに大都会集中が起きたのか? それは参勤交代があったからと考えられます。諸大名の夫人を江戸に留め置き、大名は家来衆を引き連れて、隔年で江戸に移り住む必要があった。いわば地方のトップの生活基盤の半分を江戸に無理矢理常駐させることにより、それに伴って一地方小都市だった江戸を、世界有数の大都市にすると同時に、街道筋の宿場経済を成り立たせることに成功しました。
思えば徳川幕府は、恐ろしく賢い政策を土台に据えたことになります。こうして地方経済を活かしながらも、江戸集中体制を築き、250年の持続的社会の基盤を作ったのです。この江戸集中がなければ、東京一極集中を引き起こした明治の大改革もなかったでしょう。

文明崩壊を引き起こす森林伐採

江戸時代は不思議な時代です。「文明崩壊」という本を書いたジャレット・ダイアモンドは、森林管理という厳格な方法が成功したまれに見る例であると、江戸時代の日本を紹介しています。
今森林破壊は現代の大問題となっています。南米に代表される森林破壊は、CO2を吸収する森林を破壊することによって、地球環境を大きく破壊するものであるという文脈で論じられることが多いのですが、森林破壊を行うのは、人という生物の避けがたい悪癖とも思えるのです。
ジャレット・ダイアモンドによると、イースター島のモアイ像制作のエネルギー源として、森林伐採が大規模に行われていたそうです。そして森林の大規模伐採は、森林の枯渇を生み、限りある森林資源を巡って部族間抗争が激化した。そこにヨーロッパ人がやってきて、武力で、そして意図せず運び入れた感染によって、イースター島の原住民達の文明は崩壊したと。「文明崩壊」には、このようなストーリーが各地にあるのだと、現代文明の崩壊について警鐘をならしているのです。
森林崩壊はイギリスでも起こりました。産業革命の最初の燃料は、今で言うバイオマス、つまり森林だったのです。中世イギリスはもっと森林に富んだ国でした。ロビンフッド活躍の舞台は、シャーウッドの森という森林でした。森林が破壊され、イギリスの田舎の大部分は牧草地という光景に代わりました。

江戸時代の森林管理は、日本もそして世界ももっと勉強して良い事例と思います。江戸の町は火事が頻繁に起きました。そのたびに材木が必要となりました。そして日本の林業は世界レベルに発達していました。森林管理は江戸の町を持続させる重要な問題だったはずです。
木材運搬は川の流れを利用して行われました。これはエネルギーの観点から言えば、水力という自然エネルギーの直接利用です。
現代でも運送に使われているエネルギーは莫大なものになります。そのエネルギー源は石油です。運送のエネルギーのほとんどはトラックが消費しているのです。しかし昔の日本では、運送に使うエネルギーのかなりの部分は、水力に拠っていました。当然ながら水力発電ではなく、川の流れを利用した自然エネルギーの直接利用です。
川の流れを利用した木材の集積点は、歴史ある町の地名として残っています。東京の木場(新木場)そして京都の丸太町。

琵琶湖疏水は東京一極集中の最初の犠牲ー京都の、起死回生の復興策でした。

江戸という大都市と各藩という地方分権社会が共存する仕組みは、明治政府によって壊されました。廃藩置県がその根底をなす政策ですが、実質的な影響を強く受けた町がありました。京都です。幕末に三十数万いた人口が、明治10年を過ぎる頃には二十数万に減少しています。今から見ても急激な衰退です。
それを救うための起死回生の策が、第三代京都府知事によって起案され実行に移されます。それが琵琶湖疏水です。琵琶湖の水を京都に引いてくる大工事ですが、その主たる目的を格調高く告げる琵琶湖疏水起工趣意書に拠れば、自然エネルギーを用いた産業革命を京都の地に起こすことによって、衰退した京都の復興を図ることでした。昔の政治家の素晴らしさを示す事業であると思います。琵琶湖疏水起工趣意書と、府知事北垣国道が記した日記を編纂した「塵海」は、今読んでもその新しさに感銘を受けます。
琵琶湖疏水は今では京都を代表する観光ポイント「哲学の道」として、また京都市民には水道水として知られていますが、琵琶湖疏水の全貌は京都の町に広範に残っています。地域活性化の一つのモデルケースとして、各地で活用するヒントを限りなく与えてくれるのではないでしょうか。

琵琶湖疏水の説明がある千年文化を考える会のページへ行く

幕藩体制の各地域のあり方、明治初期の施策、すべてを参考に

明治日本の様々な策は近代日本さらには現代日本を作り出しました。それは基本的に成功例として考えられてきました。しかしその延長にある現代は、3.11や今回のコロナウィルスなど、致命的な欠点を持っていることが解りました。
今回の第一波の見事な収束は、日本の不思議と海外から呼ばれているそうです。安倍さんは日本モデルと胸を張りましたが、国内外でほとんど誰も日本の政策が良かったとは思っていません。後手後手の政策だったのに、どういうわけか成功しているというのが偽らざる感想でしょう。ちょうど幕末の幕府の対応のように。
要請という緩い規制で強制力を持つ海外よりも大きな効果をあげたという風に思っている人も少なくありませんが、政府が強い対策を取る以前にも、日本の感染拡大のいわば速さは、欧米のそれよりも格段に遅かったのです。言い換えれば、日本はその大都会を除けば感染に強い社会であるといえます。それは何故なのか、これからの研究が明らかにしていくでしょう。
自粛要請以前でも日本の感染者数増加は欧米に比べて緩やかだったという分析はこちらから
日本は遅れているという思考回路ができあがっている人達が一方でいます。PCR検査が少なかったから、日本にはもっと感染者がいるはずだと、しきりに危機感を煽りたがる人もいます。PCR検査を増やすことは私も賛成ですが。
でも考えて見れば、幕末から明治にいたる過程は、諸外国には日本の不思議だったのではないでしょうか? 最高権力者と思って対応を迫ったshogunに対して、別の権力者mikadoがいた?
それが解ったと思ったらmikadoをたて、明治維新というフランス革命もどきのことを行い、その結果諸外国と対等に国際舞台に立つ日本が現れた。そんなことをやれたのは19世紀では日本だけだ。幕末から明治にいたる日本は、そのように諸外国には映ったのではないでしょうか? 
日本文化の何かが、幕末の日本の不思議を生み出し、また今回のコロナウィルス感染防止に役立った。そしてまた未来を導く何かとなってくれるとすれば、是非皆さん一緒に日本の不思議を持続社会形成へと結びつけようではないですか? ヒントは日本史の中に限りなくある、そう思わせる日本の不思議です。

まとめ

COVID-19を契機に日本を豊かな地域分散型社会へと舵を切る。それが今回のコロナウィルス災禍が教えることであり、3.11が教えることであり、また日本史が教えることである。そのように南駄老は考えています。その方向性を持って、多くの人達のご賛同を得て、そのような方向性に歴史を変えていく戦略を、このページあるいは子ページで、提案していくつもりです。これからもこのページを時折訪れて頂ければ幸いです。

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

おすすめの記事