島根県知事の勇気に拍手

上の写真はマキャベリ像です。フィレンツェはルネサンスが花咲いたまさに花の町。そこにルネサンス期のイタリアの偉人達の像が有り、上の像もそのうちの一つです。数々の歴史に残る人物像があります。物理学者ではもちろんガリレオも。
マキャベリはルネサンス後期のフィレンツェの政治家でした。

聖火リレーを降りる?

島根県知事が聖火リレーに待ったをかけた形になりました。
以前からこのブログでは、東京目線に疑問を呈してきました。またコロナ禍では、各地方の知事がそれぞれ個性を発揮して、質が落ちた中央政界と比べて、多様な政治家像を見せてくれていることに、私は将来の日本の希望を見いだしています。
コロナ禍は明らかに東京や大阪といった大都会が、その感染拡大源になっています。東京や大阪の人が悪いと言っているわけではありません。人口密集した都会が広がっている不自然さが、感染拡大を助長していると指摘しているのです。そしてデータを良く見てみると、東京や大阪と言った大都会では、感染が終息しにくく、また新しい感染拡大期を迎えやすく、その結果として周囲に、また全国に新しい感染の波を喚起していることを指摘しているのです。

上の文をデータから解析した記事はこちら。

こういった構造は、地方の人は何となく実感しているでしょう。東京からの報道が感染拡大を日々伝えます。そしてそれが酷くなったときには、身近な処でもクラスターが発生したりするのです。都会から感染が広がってくるという恐怖は、まさに実感として恐れを持って湧いてくるでしょう。
一方東京目線で見ると、自分たちはひたすらガマンしている。実際緊急事態宣言を受けやすいのは、いつも東京だ、何故いつも東京なのかと思っているかも知れません。唯一の楽しみはオリンピックだと思っている人も案外多くいるかも知れません。
コロナ禍は日本の分断を明確にしたのかも知れません。大都会集中と疎な地方。すでに分断はありました。地方で生活が出来ないから東京に行くしかないと、若者達は世代を超えて東京を目指してきました。経済の中心として東京は税収も豊かで、福島原発事故の復興も、東京で行われるなど、長い間東京は大都市集中の恩恵を当たり前のように受け取ってきたのです。
東京が首都となってわずか150年。東京都の人口が全国の人口の1割以上になったのは、恐らく戦後のことでしょう。わずか1割が日本全体の意見を代表する、そのようなおかしな状況を、地方の人達は、そして知事さん達はこれまでガマンを続けてきたと思います。
東京目線からは島根県知事の発言は、とても異常なように見えるかも知れませんが、私は大変まっとうな、そして勇気ある発言と思っています。それに対して都知事の「東京はしっかりと対応している」という発言は意味がないものであり、しっかりと対応しているにもかかわらず感染が東京から広がっていることを全く理解していないとすれば、日本を間違った方向に持って行く政治家であると言わざるをえません。
コロナ禍を機会に、全国の知事さん達が地域の人達を代表して自由に発言をし、知事さん達の間で議論が活性化することが、新しい日本の姿を描く上で大切になるのではないかと感じています。

地方目線で感染を見てみよう。

今やほとんどの人が連日のように新規感染者数を見慣れていると思います。毎日100人を越えたの、1000人を越えたの、あるいは7日連続で500人以下であるとか。
一方感染者数が多くの日でゼロであるような県もあるのです。その一つが島根県です。下に島根県の新規感染者数を昨年の3月から今年の2月中旬まで、ほぼ一年にわたって示したグラフを置いてあります。二桁を越えた日はわずか二日、他はゼロか一桁がほぼ同じような日数でしょうか? 二桁になった日もその一度は10人ですが、一度だけ8月上旬に92人と、信じられない数になっています。クラスターが出たのでしょう。魔の一日だったに違いありません。
ゼロでなかった日は、東京での第一波~第三波の時期に重なります。県民から見てどう見えるでしょう。
感染が広がっている東京(あるいは大都会)から突然感染が飛んできて、しばらく感染が続く。嫌な感じだな。そう思うのが自然じゃないでしょうか?

            島根県新規感染者数の推移

オリンピック第一に考えることを許す東京の人達の目線と、全く違う目線を、このグラフから感じませんか? 行き詰まった時代の果ての東京目線と、それとは全く違った目線と、どちらが日本の未来を拓く可能性があるのか、一考する価値は充分あるのではないでしょうか?

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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