生命とは何か

鴨川(高野川)には、多くの水鳥たちが住んでいます。まさに水は生命を育む存在です。その生命を今回は考えて見ましょう。
生命とは何かという一冊の本があります。著者はエルウィン・シュレディンガー。量子力学を習えば、基礎方程式としてシュレディンガー方程式を習いますが、シュレディンガーの功績は、この一冊の本にもあります。量子力学に関しては、ハイゼンベルクの思考法の哲学性が論じられることが多いのですが、シュレディンガーのこの著作はそれに決して劣ることなく、20世紀初めの物理学者達が、単に物理学の専門家であるだけではなく、まさに総合的俯瞰的かつ深い思想性を秘めていたことがよく分ります。

生命とはネゲントロピーである

生命とは何か?この根本的な問いを100年前に発したシュレディンガーは、生命とはネゲントロピーであると考えました。ネゲントロピーすなわちネガティブなエントロピーを意味しますが、それはどのような意味なのでしょうか?

シュレディンガー

エルウィン・シュレディンガー。理系の大学に進むと、ほとんどの学生が何らかの形で量子力学を習います。量子力学とは原子レベルより小さな世界を記述するために必要な物理学の基本体系の一つです。そこではシュレディンガーとハイゼンベルクが、それぞれ独立に、数学的に全く異なるアプローチで、1925年に水素原子に対する方程式とその解を論文にまとめたものが、基礎方程式として使われています。
その二つの方程式は水素原子のエネルギー準位に対して、同じ答えを導き、またそれまでに観測されていた実験値を見事に再現するものでした。さらに二つの方程式は全く異なった方程式に見えましたが、ディラックがその二つは数学的に同じであることを証明しました。ただハイゼンベルク方程式がマトリックス方程式であるのに対し、シュレディンガー方程式がそれまでの物理学の基礎方程式と同じ微分方程式で表されていたため、量子力学の基礎方程式としてシュレディンガー方程式が現在でも共通して教えられています。
一方原子などのミクロの世界では、粒子性と波動性の二重性をどう解釈するかが問題となります。例えば光は波であると高校の物理で習うでしょう。しかし光電効果という現象を解釈するのに、アインシュタインは光量子仮説を提案し、光が粒子の性質を持つことを示しました。シュレディンガー方程式は電子を波として考えた方程式であり、水素原子に電子が一個であるという電子の粒子性(波は一個二個と数えませんが粒子は数えられます)と、どのような折り合いをつけるのか、当時の物理学者の大問題でした。これを解決するために、ボーアやハイゼンベルクと、アインシュタインやシュレディンガーの見解の激しい対立があり、結局ハイゼンベルクの不確定性原理などの解釈が物理学者に広く受け入れられることになります。方程式ではシュレディンガーミクロの世界の原理的考察ではハイゼンベルクが、量子力学を最初に習う学生達の耳に入るという伝統が、20世紀半ばには完成していました。ここに出した人達はすべてノーベル物理学賞を受賞しています。
このようにしてシュレディンガーの名は、シュレディンガー方程式として、理系の大学を出た人達には、なじみの名前になっています。

エントロピーは増大する

物理学とは、誤解を恐れずに言えば、究極的に理論体系の学問です。
20世紀の物理学では、量子論と相対論がそれまでの物理学の常識を一掃するものでした。量子論は原子レベルより小さいミクロの世界を、相対論は、光に近い速さで運動する物体の記述を、それぞれ行うことで、人類の科学的知識を飛躍的に高めるものでした。原子・分子のレベルのミクロの世界を扱うのが量子論という理論体系、宇宙規模のスケールの現象を考える基礎を与えるのが相対論という理論体系。
19世紀までに物理学者は、我々のスケールで(一メートルとか一万キロメートルとか、我々が見聞きできる大きさのスケールで)通常経験する、生命とは関係ない現象について、基本的理解をほぼ完全に得ていました。特に産業革命に触発され、熱力学という理論体系が出来たことは画期的なことでした。相対性理論という、誰もがその名前を知っているだろう理論体系を提案したアインシュタインが、物理学の中で最も重要な理論体系は何かと問われたのに対し、「熱力学である」と答えたことは有名です。我々の日常経験する現象の基本原理そして理論体系が、熱力学なのです。
熱力学の土台が熱力学の第一法則、熱力学の第二法則の二つの法則です。熱力学の第一法則はエネルギー保存則です。そして熱力学の第二法則はエントロピー増大則と言います。この二つの法則を基本として、熱力学という理論体系ができあがっているのです。そして熱力学は量子力学以上に理系の大学教育のカリキュラムでは重きを持っており、すべての科学者技術者が大学で学ぶ課目の一つが熱力学であると言っても過言ではありません。
エネルギー保存則の重要性は、このブログでの他の記事でも強調しています。しかしエントロピー増大則については、エネルギーの最終形態は熱エネルギーであると、通常私は簡単に済ましています。
例えば電気はエネルギーの一形態ですが、電気エネルギーはそのままでは役に立ちません。光に変わったり音に変わったりして、我々はそれを利用します。電気エネルギーが例えば光エネルギーに変わります。あるいは音エネルギーに変わります。その時エネルギー保存則が働きます。つまり大きな音エネルギーを得たいと思えば、それだけ電気エネルギーを投入しなければいけません。
音はそのうち消えます。つまり音エネルギーはずっと音エネルギーであり続けることは出来ません。エネルギー保存則から、消えた音エネルギーと同じ量だけ、別のエネルギーが発生しなければなりません。このようにエネルギーは形を変えます。あるいはエネルギーの別の形態になります。でも量は変わらないのです。
その結果、一つの疑問がわきます。エネルギーが形を変えるなら、変わり変わって元のエネルギーの形に戻れないのだろうか? 使った電気が音に変わったら、その音のエネルギーを、音発電を工夫して元の電気エネルギーに変えることは出来ないのだろうか?
これが出来ないことを言っているのが、エントロピー増大則です。つまり熱というエネルギーの最終形態があるのです。
熱エネルギーとは何か? 例えば部屋の中の空気を考えましょう。空気は素晴らしく大量の窒素分子、酸素分子、その他の分子で出来ています。そしてそれぞれの分子は激しく運動し、それぞれが運動エネルギーを持っています。ただその運動エネルギーの大きさはまちまちで、運動の方向もまちまちです。一つ一つの分子の運動はおよそ秩序だっていません。エントロピーとは、いわばこの無秩序の度合いを表します。例えば分子の運動の方向はまちまちでも、運動の速さはすべての分子で一定だとしましょう。これはある意味秩序だっています。このような状態を考えると、しばらく経てば分子達は衝突を繰り返し、分子の運動の速さはばらばらに散らばるでしょう。つまり無秩序の度合いが増す。エントロピーが増大したわけです。無秩序の度合いは時間の進行と共に増大する、それがエントロピー増大則であり、エネルギーとすれば熱エネルギーが最後の形態であることに繋がるわけです。

シュレディンガーの猫 I

シュレディンガーの猫の話を聞いたことがある人も多いかも知れません。ハイゼンベルク達の量子力学の解釈に対して異を唱えるために、シュレディンガーが考えた仮想の思考実験です。
量子力学の解釈には、波動関数は発見の確率を表す関数であるという確率波解釈があります。どういうことかと言えば、波動には起伏という場所によって変動する大きさがあるが、シュレディンガー方程式の解として出てくる波動の大きさは、その場所に電子が見つかる確率を表すのであって、観測されなければ電子がどこに見つかるかは解らない、というものです。
シュレディンガーはその考えに反対して次のような状況を考えます。
大きなしかし外からは見えない箱に猫を入れよう。そしてその箱の中にある装置を入れる。その装置とは、密閉したガラス瓶に青酸ガスを入れる。そしてその外に放射性物質を置く。放射線はミクロの世界の現象で量子力学に従う。そして放射線にあたれば、青酸ガスを入れた瓶が割れるようにしておく。
そのような装置を作り、その中に猫を入れて、一定の時間そのままの状態にしておいた後箱を開いたとき、猫が生きているかどうかは確率しか言えないと言うのか?
量子力学の確率波解釈を良く理解した後この話を聞けば、上に書いた論は反論にならないと解ります。あいにく私はシュレディンガーの反論を直接読んだことがないので、上の設定が正しくシュレディンガーの論法を踏襲しているのか、断言できませんが、上記設定は当たらずとも遠からずであると考えます。

シュレディンガーの猫 II

シュレディンガーのネゲントロピーの発想は、猫を考えるとよく分ります。上記の想定を多少修正して次のように考えたとしましょう。
猫を大きな箱の中に入れたとする。そして箱の内外ではエネルギーのやりとりがないとする。エネルギー保存則とエントロピー増大則は普遍的な法則だから、箱の中を全体で見れば、エネルギーは保存するし、エントロピーは増大しているはずだ。
同じ箱の中に死んだ猫を入れておく。同じ時間が経ったとき、箱の中は全体でエネルギーは保存するし、エントロピーも同じように増大するだろう。しかしそこには違いがある。生きた猫の箱の中は汚物にまみれ、また猫の体温で熱エネルギーが発生し、温度が上昇しているだろう。つまり生きた猫はそれだけ周りに無秩序さを作りだしている訳だ。
翻ってみれば、生きた状態では、その体内の無秩序さは増大していない。例えば規則正しく毎日同じ生活様式を続ける状態に無秩序さはない。生きた生命体では、増大する無秩序さを体外に放出し、体内の無秩序さを増大させない状態を保っている訳だ。つまり生命とは負のエントロピー、ネゲントロピーなのだ。
こうシュレディンガーは考えたのではないかと思います。
いずれにせよ生命とは何かという本の中で、シュレディンガーは生命とは負のエントロピー、ネゲントロピーなのだとの考えを提案しています。
生きた生命体である我々は、食事によって毎日一定のエネルギーを摂取します。一日約2000キロカロリーがその量です。そして我々は生きて様々な活動をします。それぞれの活動にはエネルギーが伴いますが、そのエネルギーの総量は、一日に2000キロカロリーです。そして最後にすべてのエネルギーが熱エネルギーに変わりますが、熱エネルギーの量は一日2000キロカロリーです。
生きた我々は、一定の状態を保持します。そのために増大するはずのエントロピーを体外に放出する仕組みを持っています。通常体温は外気温より高く、それを利用して体内からの熱エネルギーを放出します。熱エネルギーは先に見たように増大したエントロピーです。また汗や糞尿を体外に放出します。汗や糞尿も増大したエントロピーです。いわばごみですね。ごみも増大したエントロピーです。

エントロピーの日本語訳は熱力学的下痢?

エントロピーとは、非常に深みがある概念です。大学の三回生の時(関西では大学3年生を大学3回生と言います)、統計熱物理学という課目を教わりました。名先生でした。
当時の京大は今考えると非常識なまでおおらかな時代でした。試験の時、通常はカンニングを厳しく取り締まりますが、京大理学部では多くの先生の監督の下で、試験での本やノートの自由な持ち込みが許され、さらには友人との相談も許されていました。これって明らかにカンニングじゃん。事実一回性の時、このような試験の在り方を実践すると言ってくれた別の先生が言うには、「このような試験の結果、君たちの判断力の正しさがよく分る。良い解答が多く出回っているからね。」
この先生は民主主義の原点がここにあるのだとも言っていました。試験では皆が一生懸命考える。そして一生懸命考え方を交換する。その結果良い答案が多く出回ることを学ぶというのは、民主主義の原点ではないだろうか? という訳です。一律にカンニングはいかんという考え方をはびこらせれば、民主主義の自殺に繋がる可能性がある、そのころの学生としてそう考えるこの頃です。
話を戻して三回生の統計熱物理学(熱力学)の講義の最終試験での問題がこうです。「エントロピーを日本語に訳せ」。
ああでもないこうでもないとワイワイやって解答を作り、後で質問に行ったらにやにやして先生が紹介してくれた解答例がこうです。「熱力学的下痢というのがあったよ。その心は止まらない止まらないだって。」
なるほどエントロピーのイメージを良く捕えている名解答(迷解答?)です。
その名先生が講義中に紹介してくれた本が「生命とは何か」です。

地球環境もネゲントロピー?

動的平衡とネゲントロピー

生物学者の福岡伸一さんは、生命とは動的平衡だと言っておられます。私は福岡さんのこの概念を最初に聞いたとき、ネゲントロピーを連想しました。ネゲントロピーは物理学者の概念ですが、動的平衡は生化学的に見た概念です。
平衡の概念は通常静止している物に当てはめられます。動かないで平衡している物体。その時、この物体ではエネルギーのやりとりはありません。
福岡さんの動的平衡では、生命体は平衡を保っているが、分子レベルでは常に動き回っているという訳です。分子レベルで見ると動き回っているからには、エネルギーのやりとりが激しく行われる。通常エネルギーのやりとりが行われたら、エントロピーが増大し、急速に熱力学的に最大の値に向かう。エントロピーが増加し尽くした状態は熱力学的死と呼ばれ、もはや見た目にも何も動かない状態となります。分子レベルではエネルギーのやりとりはありますが、大局的に見てもはや何も動かない(動けない)状態です。
生命体は明らかに大局的に見て動けます。そういう意味でエントロピーが増大しきった状態ではない。それでも生命体を見れば、エントロピーは増加せず、一定の秩序が保たれている。物理学の目で見れば、動的秩序と呼んだほうが解りやすくも感じますが、ネゲントロピーと動的平衡の概念は、生命という実態を物理的に見るか、生化学的に見るかの違いであり、同じことを言っているのだと感じます。
細部は常に激しく動いており、エネルギーのやりとりがあるが、全体は平衡状態を保ち、全体は秩序だって動いている、というモデルは、生命以外でも見られると考えています。例えば地球環境というか、地上の森羅万象は、常に変遷しながら秩序ある同じ状態を保つ例です。

地球という生命体は太陽エネルギーを食事とし、地球の各部という細胞を動かし、そして赤外線というエントロピーを外部に排出する

動物は食事でエネルギーを体内に取り入れ、その活動源とします。そしてそのエネルギーを体各部の秩序ある運動のエネルギー源とし、その結果体内で増大するエントロピーを体外に排出し、自身のエントロピーを一定に保ちます。植物は太陽エネルギーを光合成で取り入れ、これが植物のエネルギー源となりますが、やはり生命体として、増大するエントロピーを外部に放出し、内部のエントロピーを増大させないようになっています。動物や植物に共通する増大するエントロピーには、熱やCO2が含まれます。
地球環境もこれに準じてみれば、同じ構造を持つことが解ります。地球には莫大なエネルギーが太陽から降り注ぎます。そのエネルギー量を一年間で地球全体で見ると、同じ一年間で現在人類が消費する化石燃料の一万倍以上になります。
太陽エネルギーは地上で様々なエネルギーにかわります。すべての気象は太陽エネルギーが変化したエネルギーを持ちます。雨、風、太陽熱、太陽光・・。すべての生命体のエネルギーも、元はといえば太陽エネルギーです。
そしてエネルギーは変化しながら最後の形態ー熱エネルギーーとして、最大限のエントロピーを持つ形へと変化します。そしてそれは赤外線として、地球外へ放出されます。その放出によって地球上のエントロピーは増大することなく、長い歴史の舞台としての地球を保ってきました。
このように地球は全体として見ると、常に太陽からエネルギーを貰い、実に多様な各部がそのエネルギーを使って秩序ある自己の再生産を行い、その結果排出される増大したエントロピーを外部に排出する、そのような構造を持っています。これをイメージするために、私は太陽エネルギーの流れの中で地球は生きているのだと説明しています。

社会もネゲントロピーである

人が作る社会もネゲントロピーです。
生命体も地球もネゲントロピーとして、通常なら増大する無秩序の度合いを押さえるために、外部からのエネルギーを常に取り入れ、そのエネルギーを内部の各部署で使って、常に秩序を再生産させ、その結果余分に発生する無秩序性(エントロピー)を外部に放出する、そういう巧妙な働きを組織の永続性のために作動させています。
社会も同じ構造を持っているでしょう。社会は高度な生命体の集合が作ります。特に高度な生命体である人は、他の生物には見られない高度な社会を築いてきました。
社会生活を営む上で必ず増大する物としてごみが上げられます。家庭でも職場でも、生産の過程でエネルギーを消費します。つまりエネルギーを内部に取り入れます。そして秩序ある活動の為にエネルギーを使い、どうしても生産される不要な物(秩序ある生活にとって不必要な物)を、ごみとして外部に排出します。
長い間社会のためのエネルギーとしては、太陽からのエネルギーの流れを使ってきましたが、産業革命以来急速に化石燃料を使うようになりました。そして化石燃料を多量に集中的に使うことによって、放出するエントロピーも、多様化し、また大量になっていきました。これが環境を破壊すると言われている者達です。ごみ、CO2、プラごみなどです。

コロナ禍は現代社会の下痢である

コロナ禍はそのような現代社会が生んだ最悪のエントロピーと考えられます。現代社会は自由の名の下に、自由に動き回り、自由に経済活動を行い、自由に・・・、というように、莫大な化石燃料を使って、現代の活動的なネゲントロピー状態を作り上げてきました。
莫大なエネルギーを要するネゲントロピーは、一旦破綻すると莫大なエントロピーを放出します。例えば原発もそうです。原発の放射性廃棄物は、莫大なるエントロピーです。それは長い時間をかけて増大していき、熱に変わっていきます。その間閉じ込めておかなければ、放射線という強いエネルギーを持った巨大なエントロピーを、人類社会にも地球環境にもまき散らします。
同じくコロナ禍も現代社会が生んだ巨大なエントロピーであると考えられます。グローバル社会というネゲントロピーの隙をついて吹き出した巨大なエントロピーは、そのグローバル社会の活動を止めてしまいました。昔は天災に対して人災という言葉がありました。社会がまだそれほど巨大化したネゲントロピーでなかった半世紀前までのことです。今や原発事故もコロナ禍も、社会が巨大化したネゲントロピー状態であるからこそ、ほころびをついて吹き出す、巨大なエントロピーの害となっています。それは社会が生み出した災害、社会災といえるものではないでしょうか?

コロナ禍は人類が受けている試験であり、その解答はカンニングも許される

社会災はこれからも起こるでしょう。化石燃料が生み出す最大の社会災は、化石燃料社会が終焉することで起こる災害です。その災害を最小限に抑えるためには、太陽エネルギーがエネルギー源であるようなネゲントロピーに、人類社会を変えていくことしか方法はありません。
コロナ禍は化石燃料が生んだ熱力学的下痢であり、化石燃料社会が続く限り止まらない止まらないのです。これを克服するには、人類の英知を結集して、自然エネルギーネゲントロピーに、人類社会を変えていかなければならないのです。

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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