統一中国と民衆

一国二制度を中国支配層は受け入れない

コロナ禍の中、香港が世界政治の注目の一つになっています。
欧米で行われたアンケートで、アフターコロナ世界で一番影響力を持つだろう国はどこだと思いますかという問いに対して、中国と答える人が非常に多くなっているそうです。まだ一番はアメリカですが、アメリカをあげる人が減り、中国を挙げる人が増えてきたそうです。
現代は明らかに西欧近代の考え方が土台にある時代で、西欧諸国民は自分たちが牽引してきた時代と自信を持って考えているでしょう。それに対して中国は明らかに異質の国です。西欧諸国民が自分たちの時代に対して危機感を持ち始めたことを意味します。その中の香港危機ですから、強く懸念を持たれているのだと思います。
しかし中国の歴史を見れば、強権的な中国が一国二制度を受け入れるとは、とても思えないことがわかります。

中国の広さはEU全土より広いし、また民族の数も多いが、それでも統一を繰り返してきた

中国全土は、非常に広い領域に渡ります。EU全土より広いのです。しかしEUは様々な国の連合です。脱退すること自体、大変ではありますが、イギリスのように平和裏に行うことが可能です。
それに対してEUより広大な中国は、中華人民共和国という統一国家になっています。事実上分裂している国(地域)は台湾だけです。何故でしょうか? 不思議と言えば不思議でしょう。この問いは私自身この十年ほど気になっている基本的な問いの一つです。

中国の歴史を見れば、統一と分裂を繰り返します。伝説的な夏殷周の統一時代の後、記録に残る中国の歴史が始まったのは、春秋時代という地域分散国家時代です。春秋時代では多数の地域国家が徐々に淘汰されていき、戦国時代という七国ほどの大国が並列した分裂国家時代に入ります。つまり中国の歴史は、事実上は地域分散時代から始まったと考えていいでしょう。日本にも多大な影響を与え続けた中国の複数の思想(儒学思想、老荘思想など)も、元は春秋時代に始まり、戦国時代に完成を見ていったと考えられます。

地域分散国家で始まった中国は、秦の始皇帝によって初めて統一されます。そして漢へと統一が続きます。漢の滅亡後、有名な三国時代に始まる分裂時代に入ります。それも隋による統一で終止符を打ちます。それに続く唐。またしばらく分裂した後、宋という統一国家です。
中国では分裂しては統一が繰り返されます。その国土はEUより大きく、支配される民族も漢民族だけではなく多様な民族です。
実際中国の地で統一国家を作った民族は、漢民族だけではありませんでした。すぐ解るのは元です。これはモンゴル民族による中国統一です。また明治日本が国際戦に始めて取り組んだ日清戦争は、清というやはり異民族統一国家でした。
多民族国家を統一国家で支配する歴史を繰り返してきたのです。この統一への強い意志は、中国の長い歴史で、常に保たれてきました。明らかに西欧国家群とは、歴史的に全く異なる展開をしてきた国家なのです。そこには事実だけがあり、優劣はないと考えて対処すべきでしょう。それが多文化を受け止める基本であると思います。

統一による力の押し付けに反抗するのも、中国民衆の支持を常に受けてきた

別の記事で粽の起源を紹介しました。粽の起源は、私の解釈ではなく、中国古来から伝わる民間伝説によっています。また司馬遷の史記にも屈原の生涯は記述されています。
秦が強大となり、秦によって統一される気配が濃厚になったとき、秦による統一に反抗し、楚王を支え母国楚のために奔走しますが、周囲の無理解に失望し、汨羅に身を投げて入水自殺をした屈原は、中国の民衆の英雄となりました。
2000年以上前の英雄の故事を、今もなお中国の人が偲んで粽を食べることは、中国の民衆に、力による統一に反抗する心が、共通に流れていることを意味するのではと思いたくなります。秦に始まる力による統一の伝統を受け継ぐ中国権力に対して、民衆はそれに対して反抗する英雄を常にたたえてきた歴史の始まりがここにあるようです。私は屈原の故事をそのように捕えるべきだと考えています。

歴史の流れを変える真の政治の力は、伝統文化を基に作るしかない

大英帝国以来の世界制覇の歴史であり、産業革命以来の近代化進歩の歴史でもある、19世紀に始まる歴史の流れが大きく変わり始め、新しい世界観、新しい文化の元に、持続的な世界を作り始めるべき時期が来たと私は思い、このブログもそのような視点で書いていこうと思います。
政治経済的には中国によって欧米主導の政治経済が脅かされ、また化石燃料による歴史進歩という幻想が、コロナ災禍によって打ち砕かれている現在、従来の発想ではもはや人々の幸福を考えることができなくなったのです。
多くの人は元の平和な生活に戻りたいと思うでしょうが、新型ウィルスはこれからも襲ってくるだろうと考えるのが理性的な判断だろうし、何よりもこれまで日本では意図的に無視されてきた化石燃料の有限性が、否応なしに21世紀中には問題となってきます。

無条件に西欧は進んでいるという発想をやめよう

今回のコロナ災禍では様々なことが見えてきます。一番みっともなかったのが、相も変わらずの欧米を見習えの態度です。都知事のカタカナもすべて欧米由来でした。
コロナ災禍を数年後検証した時、一番の劣等生候補は都知事でしょう。カタカナの連発は皆欧米そのままの垂れ流しでした。ロックアウト、オーバーシュート、ステイホーム、トーキョーアラート。
マスメディアは「まだオーバーシュートではない」という言葉を専門家から引き出すのに必死でした。ちょうど十数年前、CO2削減が問題になり、クールビズという言葉がはやったころ、「CO2削減はまだ間に合う」という言葉をマスメディアは専門家たちから引き出そうと躍起になっていたものです。
そんなことは専門家にもわかりません。誰も解らないことを、専門家や政治家に任せて、安穏と暮らしたいという庶民の願望を、助長するのがマスメディアの役割でした。
マスメディアも都知事と同罪ですね。PCR検査が足りないとそればかり言って、PCR検査を増やせば欧米並みの感染者が出てくるという論調をしきりに強調したマスメディアもありました。多くの野党も基本的には欧米追従ですから、同様な論調が続きました。

中国の強権的な統一指向を打ち破るには?

西欧近代主義の限界を西欧諸国が感じているのです。当然ながら自分のことと考える西欧の人は、実感としてそのことを感じているでしょう。それに対して日本人が、いくら西欧文化の伝統を取り入れた発想で対抗しても、中国の強権的な態度に打ち勝つことはできません。
しかし私は日本が出来ることは非常に大きいと思っています。屈原に共鳴する文化は、昔から日本にありました。
強権的な中央指導部に対して、分散した地域を重んじ、それに命をかけて戦った屈原の流れを汲むのが、様々な局面で現れる中国民主派の人々ではないかと思います。そして中国の一般の人々は、中国統一の中央政権の力を、長い歴史の中でいやというほど見てきたので、現在も中国共産党には勝てないと、深くその意味では絶望しています。
しかし一方では中国の民衆には屈原の離騒を読み、屈原を慕う粽の文化が残っています。権力と民衆の対立図式が、西欧のそれとは大きく違っているのです。
グローバル時代、世界史上で始めて中国が世界に影響を与える国として登場してくるのがアフターコロナの時代です。そのことを西欧の人々は実感で解っているのです。伝統的な西欧文化を越えた価値観を求めなければ、中国の台頭と、それに伴う世界の秩序を保つことは出来ないと西欧世界は考えているのです。日本の台頭は、西欧文化に追従発展させる国が台頭してきただけですから、西欧社会には脅威ではありませんでしたが、中国の台頭はちょうど西欧近代主義の限界が見え始めた時期で起こったからこそ、西欧社会には脅威であるのです。
日本は西欧式の権力と民衆の対立図式も、中国式の対立図式も、長い歴史の中で少しずつとはいえ、確実に理解をしている恐らく世界中で唯一の国です。この立場を利用して、この二つの対立図式を越え、新しい権力-民衆の対立図式とその解決を考え出していく、恐らく困難だがこれから必要になる作業を、世界をリードして行う下地があるのです。

青年日本の歌

青年日本の歌という歌があります。この歌は聞くだけで嫌悪される風潮がありました。2.26事件を起こした青年将校達の愛唱歌であったので、いわばタブー視されてきたのです。このタブー視により、日本人が思考停止に陥ることはやめないといけません。あえてここでその一部を書いてみましょう。ほとんどの日本人は知らないと思います。

青年日本の歌は一番から十番までありますが、まず一番の出だしです。
   汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ
そして最後の十番の出だしです。
   やめよ離騒の一悲曲 悲歌慷慨の日は去りぬ
汨羅に身を投げた屈原の故事から始まり、当時の日本の民の苦しみを歌い、政治家達財閥達の腐敗を嘆きます。その中で憂国の情が切々と歌われます。そして最後の歌詞で、屈原が残した魂の遺産離騒をやめ、行動に立ち上がれという流れの曲です。その善し悪しは別として、日本人の心深くに屈原の故事が強く残っている証です。

離騒を読んでみると、何か少し違うような気がします。
離騒で屈原は王を初めとする人々の無理解を繰り返し嘆きます。もちろん無理解は屈原の政治的主張に対する無理解なのですが、王を諫めてその無理解を嘆くことは、中国の故事に常に伴っていることです。何を嘆いているのか?
離騒に続く楚辞の中の長編は天問です。天に対する問いです。天帝に対する問いを屈原は投げかけています。
時代は地域分散型国家群であった中国に、始めて強権的な統一力を持った秦が生まれようとしていました。それを楚の人である屈原は恐れたのでしょう。
天才の感覚だったと思います。強権的な統一国家に対する恐れ。地方色豊かな多様な文化の喪失に対する恐れ。そしてその恐ろしい事態を避けようと考えての政治的提言を理解しない人達への、無理解への嘆き。
そしてその歴史の流れを果たして天の意思なのかを問いかけるまで、屈原は政治の流れの基本を知ろうとします。
屈原の恐れは的中します。すでに屈原の時代の民衆にはよく分っていました。統一国家の恐ろしさが。だから粽の風習が生まれ、時代を超えて引き継がれていきました。
でも統一は当時の中国の必要な手段だったのでしょう。四方を異民族国家に囲まれた、黄河長江がもたらす豊饒な地中国。それを守るには強力な統一中国が必要だったのでしょう。統一が中国権力者の中心課題として、2000年以上にわたって染みついて来た主因です。
一方屈原の恐れも民衆の共感として共有され続けました。中国民衆は今も、共産党の強権をあざ笑いつつ恐れ、そして時折屈原の子孫達が、それに勇敢に立ち向かう、中国特有の歴史が繰り返されてきたのだと私は考えています。

まとめ

強権的な統一中国の流れは、秦の始皇帝に始まる。それ以来中国の支配層には、強烈な統一への指向が保持され続けている。一方強権的な統一への恐れが、屈原とその後裔達をして楚辞を書かせ、その心は中国民衆に共有され続けている。

えねるぎぃっ亭南駄老でした。

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