私の好きな町

大都会ではない魅力的な町達(ヨーロッパ)

しばらく海外旅行へは行けないでしょう。その機会に私の好きな町達をご紹介します。ガイドブックには載ってない私の視点で。決して大都会ではないが、便利で暮らしやすい町達。そういう町をこのブログではご紹介したいと思います。これからの地域分散型社会の、大いに参考になる町達です。
ひたすら欧米は進んでいると考える時代は終わったと私は思っています。特にCO2削減などで、欧米はこれほど進んでいるから見習えみたいな論調も多くありますが、その結果日本では皮肉なことにCO2削減は全くと言っていいほど進んでいません。

日本のCO2削減の実績について記事を見る>>

ですが西欧近代化路線の問題点を良く理解しているのも、西欧近代化の本家本元西欧社会です。その結果西欧近代化を乗り越える動きも西欧社会に多いのです。
これからは産業革命以来進行してきた大都市集中路線を超えた動きとして、地域色豊かな中小規模の都市を重視する時代に入ります。その動きを先導しているのも欧米社会に多く、長い歴史の重みを活かした魅力的な中小規模の都市が欧米諸国には数多くあります。
私が好きな町として、そのような町を紹介していきましょう。

リスボン

ポルトガルの首都リスボン。人口は約55万人です。ヨーロッパにはロンドンやパリを除けば、そんなにメガシティはないのだという意味でも、この数字に注目して下さい。歴史は古代ローマ帝国以前フェニキア人の時代にさかのぼるようですが、はっきりした歴史は古代ローマ帝国時代です。古代ローマ帝国の植民地ルシタニア地方のオリスボという町でした。
古代ローマ帝国滅亡後もルシタニア地方の首都として残り、その後イスラム教徒に占領されますが、いち早くレコンキスタでキリスト教都市に戻り、イベリア半島の様々な地方の中でいち早くポルトガルとして独立。
一時スペインに併合されますが、基本的には一貫して、イベリア半島内でスペインからは独立した国として存在を維持してきました。
現在のリスボンの町の姿を決定したのは、18世紀に起きたリスボンの大地震と津波です。リスボンの町は壊滅的な打撃を受けました。それを復興させたのがポンバル侯爵です。教会の反対を押し切り(有名なイエズス会です)、犠牲者を海に埋葬する水葬で疫病の流行を抑えたのだとか。坂が多いリスボンの町を上手に設計し、今に至るリスボンの町の美しさの基盤を作りました。
町の中心地にマルケシュ・ド・ポンバルという駅があります。つまりポンバル侯爵駅で、上に上がると巨大な彼の銅像が建っています。
そこから眺め下ろすと、とても広く美しいリベルダーデ大通りがまっすぐ降りており、その向こうは海のように見えますが、それはテージョ川です。
リベルダーデ大通りは、ポンバル侯爵がパリのシャンゼリゼ大通りを参考にして作ったとされていますが、シャンゼリゼが自動車で溢れかえる道であるのに対し、リベルダーデは真ん中に通過用の車道を持ち、その外に並木の大木の下の遊歩道、さらに外には両側に並ぶ建物を利用する自動車専用の道が通り、さらにその外に歩道があるという、実に愉快な構造を持った大通りです。

リベルダーデ大通り

グラーツ

オーストリア第二の都市です。人口は25万人。やはり古代ローマ帝国にさかのぼる町で、砦を意味するグラデツが語源とか。現代に生きるこの町の姿が出来たのは中世神聖ローマ帝国時代で、ハプスブルクの町となったのが大きな契機でした。
神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世がこの町で生まれ、彼がこの町の領主であったとき、この町のプロテスタント高校の数学教師だったのが、ケプラーの法則で有名なケプラーでした。
後に皇帝になる人が、一地方の領主であったことに違和感を覚える人がいるかも知れませんが、皇帝はあくまで選挙で選ばれていました。但し現在のような選挙ではなく、選帝侯と呼ばれる人達だけに拠る選挙でした。
同時期に出来たグラーツ大学はカトリックの大学であり、ケプラーがグラーツ大学で教えていたという解説が時々ありますがそれは間違いです。
フェルディナント2世を生涯補佐したエッゲンベルクという人がいます。ちょうどリシュリューのように、当時の名宰相で、このころの歴史書には必ず出てきます。(リシュリューの説明は三銃士と百合の花の記事にあります。)
そのエッゲンベルクがグラーツの郊外に建てたエッゲンベルク城は、グラーツを訪れたなら必ず行きたいシュロス(お城、宮殿、邸宅)です。その当時の宇宙観を表してもいます。
グラーツの中心近くの小道ホーフ・ガッセには、創立1569年のハプスブルク御用達パン屋さんが、今もパンを作っています。その他グラーツの旧市街には、古き良きヨーロッパを感じさせる建物が並んでいて、おしゃれなお店も多く、ご婦人方のショッピング意欲をそそるでしょう。

グラーツ ハウプト広場前のトランジットモール


グラーツの中心街ヘレン・ガッセは典型的なトランジットモールで、グーグルマップのストリートビューでもその雰囲気を味わえます。ストリートビューは通常自動車からの写真で構成されますが、トランジットモールは歩行者天国であり、自動車の通行は例えgoogleが頼んだとしても無理でしょう。googleは何と歩きながら撮影した映像で、ストリートビューを作成したわけで、これを見ても如何にgoogleがグラーツを魅力的か考えていることが解ります。
このストリートビューは日本語でも到達可能で、グーグルマップでグラーツを検索し、更にヘレンガッセを検索、そこからストリートビューに入れば見ることが出来ます。またそこからハウプトプラッツ、シュポルガッセ、ホーフガッセと進めば、先ほどのパン屋さんまで歩いて行く感覚を味わえます。テレワークならぬテレサイトシィイングですね。
でもやっぱり行きたいでしょう。一方テレサイトシィイングでも、トランジットモールの魅力を、日本の多くの人に伝えることが出来たら。

ケルン

二つ古代ローマ帝国にさかのぼる都市を紹介したので、ドイツではこの町を紹介しないわけにはいきません。名前からしてコロニアつまり植民地から来ているのです。
また意外なところで、この町の名前を見いだします。オーデコロンは、以前は香水の代名詞みたいでしたが、その後もっとおしゃれな香水が出てきて、今はあまり聞かなくなりました。でも年配の方は覚えているでしょう。オーデコロンはフランス語ですが、ドイツではケルナーヴァッサーと言ってケルンの水という意味です。ただしケルンも含めて、ここでのケという発音はOウムラウト、つまりオーの口を開けて、エと発音するのですが。
今でもオーデコロンはケルンの名物です。ナポレオン時代、ナポレオンに率いられたフランス軍は、ヨーロッパ各地に侵攻しますが、フランス兵はオーデコロンをお土産に買って帰ったものだとか。
もう一つケルンの名がついた名品にケルシュがあります。近年はやりのクラフトビールで、ケルシュと名付けたビールの種類がありますが、本家本元のケルシュはケルンの地ビールであり、ケルンに行ったらビールと言えばケルシュです。ケルシュも本来コェルシュです。念のため。
でも何たって一番有名なものは大聖堂でしょう。ケルンでは単にDomです。ケルン駅に降り立って、駅を出るとすぐあります。始めてみれば圧倒されちゃいます。そしてその前の広場の広いこと。
始めてその広場に立ったのは今から42年前ですが、ケルン大学の研究者に招待されてのことでした。まだ外国慣れして無くて、電話も公衆電話、駅について研究室に電話したら、「教会前で待て。すぐ行くから」と英語で言われ、広場にでてその広さに唖然。教会前ってどこだ・・なんてうろたえたものでした。
その後縁あって毎年のようにその研究室を訪れ、この広場は私の好きなヨーロッパのポイントの一つとなりました。すぐそばにはライン川が流れ、夏には遊覧船が頻繁に出て、風に吹かれながらコェルシュを飲む。最高です。ケルン駅から南下する列車に乗れば(例えばミュンヘン行)、ボン、コブレンツ、マインツとライン川沿いに走ることになりますが、その途中にローレライの岩があります。もちろんマインツ-コブレンツ間は、ほとんどの観光客はライン下りの船旅を楽しむのですが。

大都会ではない魅力的な町(北アメリカ)

ワシントン, D.C.

言わずもがなのアメリカ合衆国の首都です。合衆国はUnited Statesの訳ですが、州と訳されているStateの集合体がアメリカです。それでは首都ワシントンは何というStateにあるのでしょう?
今では常識かも知れませんが、結構昔はきちんと答える人はまれでした。実はワシントンは州に属さない町なのですね。首都をどこかのstateに置くと、その州を特別視することになるから、州からは独立させようと作った特別区(District of Columbia)にある町がワシントンなのです。人口は約70万人。
首都にふさわしい美しい町です。そして整然と整備された実に解りやすい住所。私が一時在籍したジョージワシントン大学物理学科は、21番ストリートの確か725番地、NWでしたが、NWはノースウェストつまり北西部、21番ストリートは町の中心から数えて西へ21番目の通り、725番地は町の中心から数えて北へ7番目と8番目の間にあることを意味します。番地が700番台であることで、それが示されます。
また南北に直交するように走らせた道は、南北に走る道は、1st streetから始まって、2nd, 3rd, 4th,・・,21st streetとなるし、東西に走る道はA street, B street, C, D, と続いてG, H streetと名付けられます。我が物理学科は21st streetとH streetの交わるところのそばでした。

直交した道を斜めに走るように、大通りが各コーナーを結ぶように張り巡らされます。我が物理学科のすぐそばにはペンシルヴァニアアヴェニューという大通りが通っていましたが、このように斜めに走る大通りは、USのstate名が付けられています。ちなみにこのペンシルヴァニアアヴェニューは、新しい大統領が宣誓式の後行進するので有名な通りです。今年ペンシルヴァニアアヴェニューを行進するのはトランプなのか、それともバイデンか。でもコロナで実際に行進できるのだろうか?

ところであくまで町の中心から数えて何番目の通りかでstreet名がつくのですが、町の中心にはそもそも何があるのでしょうか。

そこにはアメリカの政治と歴史文化の中心があります。まず中心部はモールと言って、東西に長く広い芝生で覆われた広場があります。そしてそれに直交する南北の広い、そして比較的短い広場があります。この二つの広場は上から見ると、十字架の形をしています。十字架の中心にあるのはオダリスクの形をしたワシントンメモリアル。良くテレビ中継で報じられる高くそびえたオダリスクです。十字架の足元にあるのはキャピタル、つまり国会議事堂。テレビの中継の図は、このオダリスクを前景としたキャピタルの図なのです。
十字架の頭にあるのはリンカーンメモリアル。キング牧師が演説をした有名な場所です。リンカーンメモリアルは高台が作られ、その上に椅子に座ったリンカーン像があるのですが、その高台の前、十字架の頭の場所でキング牧師は演説をしたのです。そして十字架の足にあるキャピタルまでを埋め尽くした聴衆達。思わず戦慄するほど絵になる場面です。

ワシントンの桜

腕の部分も大切です。十字架の腕は南北に延びています。
北の端にはホワイトハウスがあります。そして南にはジェファーソンメモリアル。合衆国憲法を起案したジェファーソンがリンカーンと同じ重みで存在感を示します。
その先にはポトマック川。そこに広がる桜並木。これは日本から送られたものです。実に広大な広場に桜が咲きます。
近づいてみると気がつきます。桜は決して散りやすい花ではないと。広大な広場には常に強風が吹くのですが、強風に耐え、日本から送られた桜は、散るときが来るまでしっかりと咲く有様が、日本から離れて日本を望郷するものの胸を打ちます。

ワシントン-ポトマック川とケネディセンター(総合劇場)左はウォーターゲートビル

トロント

カナダ第一の都会です。人口は273万人。ここで紹介する都市としては、少し大きすぎる気もします。しかし実際に行って見ると、それほど大きくない感じがします。公共交通機関が非常に良く発達しているからでしょうか。
東京の人口は1400万人ですから、トロントの約5倍の人口を持ちます。しかし人の混み具合と言い、町の規模と言い、東京のほうがずっと大きな気がします。
東京の道は曲がりくねっています。方角が全く分りません。これが必要以上に町を大きく錯覚させます。これが面白いという人ももちろんあるのですが、若いうちは楽しめても、年を取るとこれは苦痛になる人のほうが多いのじゃないかと、私の経験から考えます。でもそれは別の機会に考えましょう。
トロントの町は東西南北がはっきりとしています。それが移動しやすさを生みます。そして路地みたいな小さな道を除いて、すべての道には公共交通機関が走っています。地下鉄、路面電車、またはバス。どれかが走っていますが、二種類走る道はありません。つまり路面電車が走る道にバスも走るみたいなことはありません。
そのすべての公共交通機関は、TTC(Toronto Transit Commission)という組織が運営しています。そしてTTCの乗り物は時間内で乗換え自由です。時間内の時間は一回分、一日、一週間、一ヶ月などがあります。
TTCの乗り物は、すべてまっすぐにその道を進みます。道は東西南北にきっちりと並んでいるので、乗り物の行き先は4種類しかありません。北行き、南行き、東行き、西行きの4種類です。
同じ道の構造を持つ京都で例えてみます。貴方は今四条河原町にいて、百万遍に行きたいとします。百万遍は東大路通りと今出川通りの交差点を表します。
貴方には二通りの選択肢があります。その一つは河原町通りの北行きに乗り、今出川通りで降ります。そして今出川通りの東行きに乗り、東大路通りで降ります。今出川通りが東大路通りと巡り会う場所に着きました。
もう一つの選択肢はこうです。貴方は四条通りの東行きに乗り、東大路通りで降ります。そして東大路通りの北行きに乗り、今出川通りで降ります。東大路通りが今出川通りに出会う場所に着きました。
このように簡単に目的地に行けるよう設計されているのですが、通常一度乗り換えなくては目的地に行けません。しかし乗換えが容易に出来るよう設計され、そして乗換えによって追加料金が発生しないよう、工夫があるのです。
トロントの町は貸し自転車も整備されています。町が解りやすい構造ですから、旅行者も気軽に自転車を借りることが出来、そして簡単にいくつかの観光スポットをまわることができます。
トロントの町は多様な文化に溢れています。移民を積極的に受け入れるので、様々な人種や文化に出会うことが出来ます。そして町の区画毎にネイバーフッドという呼び方をされますが、町の雰囲気が違ってくるのです。中華街やコリアン街イタリアン街はもちろんのこと、ユダヤ街やポルトガル街などあったりします。
まるでニューヨークのような多文化タウンがトロントですが、ニューヨークみたいに激しくはなく、落ち着いて多文化を楽しめる町となっています。

それぞれの町は改めて詳しく解説します

それぞれの町は改めて詳しくご紹介します。脱東京一極集中社会。様々な観点から今から真剣に考えていかないといけない事案ですが、その参考になる町は世界にたくさんあります。東京に見切りを付けて、皆さんもご一緒に是非考えて下さい。

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