wiener philharmoniker

ウィーン・フィル演奏再開おめでとう

昨日もちょっとニュースで報じられましたが、今日のニュースではより詳しく報じられました。ウィーン・フィルコンサート再開の報です。みんながとてもうれしそうでした。久しぶりにウィーン・フィルの音を聴いて、私もうれしくなりました。
二月ほど前まだ日本でも感染拡大が続いている頃です。ニュースでも毎日新規感染者数が報じられ、事態は毎日悪化しているかにもみえました。私は一科学者として、感染拡大が縮小に転じるありさまを観察したいと思い、毎日データを追跡していました。
厚労省のHPに毎日発表されるデータを毎日見ていました。厚労省のデータは日本語ですぐ解るデータであり、記録にも残るはずだし、日本の各都道府県のデータと、日本全体のデータ、それに世界各国のデータが毎日追跡できるので、様々な観点から見るのに便利だったからです。オーバーシュートという言葉が日本のニュースで飛び交い、欧米のようにオーバーシュートが起こる瀬戸際だというのが専門家達の口癖でした。

オーバーシュートは日本では起こりそうもなかった

毎日データを追いながら、私は思っていました。オーバーシュートは日本では起こりそうにないと。欧米のオーバーシュートは、3月初旬に起こりましたが、一週間で感染者数が10倍になるという状況が2週間続いたのが始まりです。それも二桁から始まって一週間後に三桁になり、次の週には四桁になっているのです。50人と思うと次の週は500人、その次の週は5000人という爆発的増加です。きちんと記録が残り始めて以来、人類が始めて経験した事態です。欧米のオーバーシュートの記述はこちら。
データを追いながら私が発見したのは次のようなことです。緊急事態宣言が出される前、日本での新規感染者数は一週間で2.5倍程度のペースであると。そしてそれがほぼ一定の割合で続いていたのです。10倍なのか、2.5倍なのか、重要な違いとなります。そしてさらにデータを追っていくと、アメリカはそのまま一週間で10倍程度のペースを保ち、ヨーロッパの多くの国は一週間で5倍程度のペースを保っていました。
感染者が増え始めて、それに気がついた政府が何らかの手段を講じ、その手段の効果が現れるまで3週間かかるとしましょう。一週間で10倍なら、三週間で1000倍になります。数十人の感染者が出はじめてそれに対して何らかの手段が講じられ、効果が3週間後に出ても数万人の感染者でピークになるという計算です。一方一週間で5倍なら三週間で125倍です。数十人の感染者から3週間経てば数千人という計算です。一週間で2.5倍なら三週間で15.6倍、同じく数十人で出発すれば数百人に収まります。実際新規感染者数で見ると、アメリカはピーク時に数万人、独仏などは数千人、日本は700人強つまり数百人です。簡単な数学ですが、週に何倍に増加しているかをみれば、政府の手段の効果が現れピークに達するまでどれくらいの(新規)感染者が出るか、見当がつくわけです。
もちろんそれは今になったから言えることですが、緊急事態宣言が出された直後、私は一週間で何倍になっているかを様々な国で比較してみてそのピークを調べ、日本に対しても週で何倍かは解りましたからピークは予想していました。欧米並みのオーバーシュートは、日本では起こらないと。

緩やかな要請で済むのかは解らなかった

しかしそのころまだ解らないことがありました。欧米ではあれほど悲痛に強制力が使われていました。それに対して明らかに緩やかな要請で、効果はどれだけあるのかと。
上記のように政府が緊急事態宣言を出すまでは、日本の感染増大は比較的少ないことが解っていました。だから日本は感染拡大が起こりにくい構造(あるいは何か)を持っている。だから緩やかな規制でも、大きな効果を生み出すだろうと、期待したい気持ちが一方にありました。政府が手を打つ前の状態が良いのだ、だから強烈な薬でなくても、ある程度強力な薬でも効くはずだという期待です。でも一方そうはいっても強烈な薬でなければ効かないかも知れないという不安です。
そこで事態が先行していた欧米諸国で、拡大から見事に収束に至った例を見つけ、その例に従って日本の経過があるかどうかを調べたら良い。そう考えました。そして見つけたのがオーストリアでした。オーストリアはオーバーシュートを経て感染が急増し、ヨーロッパの多くの国と歩調を合わせた時期に恐らく手を打って、その結果4月初旬を境に収束に転じ、その後見事に減少収束を果たしつつある。この軌跡を日本も辿るかどうか見ていけば良いのだ。
これはうれしい発見でした。そしてわずか数日後、日本もオーストリアの先例に近い経過をたどりつつあると解ったときのうれしさ。思わず私は知り合ったすべての人にBccで、「日本は減少に転じつつある。数日後に専門家達もそう言い始めるはずだ」とメールを送りました。皆さん息を潜めていた頃です。多くの人が「何、専門家でもないのに」と思ったでしょうが、「ありがとうございます」と返してくれた人もありました。それ以来私は「希望を持ってガマンしよう」というメッセージをHPで書き続けました。実はこのブログを始めようと考えたのも、それがきっかけです。毎日何かを書くならブログが良いに決まってますからね。

文化としての科学の厚みの素晴らしさ

実はそのころから日本でも賞賛されていたのはドイツでした。物理学の博士号を持つメルケル首相率いるドイツはやはり特筆すべき経緯をたどっています。でも新規感染者数増加から減少に変化する過程で、オーストリアほど見事な経過ではなかったのです。
ドイツの経過はお隣のEUの盟友フランスと比べると、とても面白い展開をしています。初期の増大期を見ると、ドイツとフランスは、ほぼ同じ感染者数で経緯します。感染者数50人越えをした日、500人越えをした日、5000人越えをした日が、ほぼ同じなのです。両国ではその後もほとんど同じ傾向で感染者が増加します。
3月終盤からドイツの感染者が明らかにフランスを上回るようになります。これはPCR検査を格段に増やしたからと思われます。一方そのおかげで、新規感染者数が減少に至る過程で、効果的な減少が当然遅れることになります。少し上で述べた「オーストリアほど見事な経過」ではなかったわけです。
しかし一方で明らかにフランスと違った傾向が現れます。それはフランスと比べて圧倒的にドイツは死者が少ないのです。これは一つはPCR検査を徹底した効果でしょう。でもフランスと比べてほぼ同じ感染者が出ていたのが、PCR検査を増やした結果、感染者がフランスの2倍になったかというと、そんなに増えてはいないと指摘しないといけません。せいぜい1.5倍程度になっただけです。ヒステリックに「日本ではPCR検査が少ないから・・」という論者はデータを見てから言ってほしいものです。
ドイツのPCR検査を徹底させるという側面は戦略の一部と思います。ドイツの医療システムは素晴らしいものがあり、また国民が科学的に医学を考える習慣があるのですね。辟易することもありますが。
ちょっと私が経験したことを書かせて下さい。今から40年以上前、ドイツに始めて数ヶ月の滞在をしたときの話です。若い駆け出しの物理学者達が輪になってのドイツビールを飲みながらの会話です。「え、日本じゃビールを冷蔵庫で冷やして飲むんだって?」「体に悪いよね。」「でも牛乳を冷蔵庫で冷やすよりマシだよ」
もちろこれらの発言はドイツの若い物理学者の発言です。唯一日本からの物理学者の私は何も言えませんでした。(もちろん英語が下手だったことが主たる原因です、会話はすべて英語です)
このエピソードで言いたいことはさまざまありますが、控えておきます。またこのブログの別の機会で書かせて頂くこともあるかと思います。
ここでは健康観の違いを見て下さい。牛乳を冷蔵庫で冷やすというのは、日本では衛生面から当然とされます。一方ビールは、特に私たちの世代では、キンキンに冷やしたビールじゃなければ、という味覚の問題として考えられます。ドイツでは(特に北部ドイツでは)、冷蔵庫で冷やした飲み物は、それだけで健康観の問題なのですが、衛生面と言うより人体に悪影響を及ぼす健康面でなのです。断っておきますが冷蔵庫では冷やさないが地下室では冷やします。天然の昔からの保存法です。同じように東洋医学の中心中国では、キンキンに冷えた冷たい飲み物は伝統的に飲まないそうです。要は医療に対する考え方あるいは国民に根ざした文化、そしてその医療体制、すべてを持って判断しなければ、コロナ災禍の対策の成否は判断できないということです。

再びウィーン・フィル

ウィーン・フィルの再開にも独特の科学がありました。楽団を構成する各種楽器奏者の唾液の飛沫が、どれほど遠くまで飛ぶのかを実験で調べたところ、危ないと思われる管楽器奏者の唾液の飛沫でも75センチ以上は飛ばないと確かめて、普通の編成の配列でもリスクは大きくないと結論したそうです。実際にやってみるというのは科学の基本です。ガリレオのピサの斜塔の実験が未だにもてはやされているのは、実際にやってみたからです。
人は嘘をつくかも知れないが、自然は嘘をつかないのです。先ほどのドイツの例は、様々な要因が絡み合って、ドイツの文化としての科学をすごいと思ったのですが、様々な要因を言い尽くすのは難しいので、わかりにくかったかも知れません。でもこのオーストリアの例は、明快で解りやすいのじゃないかと思います。
いずれにせよオーストリアとドイツは、ヨーロッパの中では非常に上手に第一波の感染拡大を収束させた国になっています。また周知のように日本もそれに劣らず上手に感染拡大を収束させました。この要因は拡大期に一週間で約2.5倍にしかなっていなかったことに主原因があることは、データを素直に見ていけば明らかです。日本モデルと安倍さんは言いましたが、何故上手に収束したかをきちんと検証することは、第二波第三波を抑えるに重要です。また新しいウィルスは、何回も出てくる可能性があるから、人類が決定的なダメージを受けないようにするために欠くことは出来ません。上にドイツやオーストリアの文化としての科学と書きましたが、緊急時に威力を発揮するのは、その時に慌てて持ち出す「公式を使った」科学ではなく、文化としての科学ではないか、そう思えるドイツとオーストリアの経緯でした。通常から蓄えた医療体制の厚みは、国民の理解がないと出来ないし、保つことはできません。緊急時にどのような発想が出来るのか、これも文化としての科学です。通常から科学的な議論を重ねる習慣がなければ出てきません。日本の八割人と会うことを減らすのわかりにくさは多くの人が指摘しています。単純数学的には正しいのですが、文化的に裏打ちされた発想とは全く思えないでしょう。
ただし日本ではやはり上手に収束しました。これも別の校で書きたいと思いますが、日本の歴史を経て蓄えた文化的重みから来ているのだと、私は思っています。
それにしてもウィーン・フィルの演奏は皆うれしそうでした。それこそウィーン音楽の文化の重みを感じさせる物でした。そしてその響き。柔らかいがしなやかな芯がしっかりある、輝いているがいぶし銀のような重厚な響き。久しぶりにウィーンの音を聴きました。聴衆を100人に減らしての、ウィーンの音楽文化を世界に発信する響きでした。


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